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もっと「沖縄病」を=主筆・前田浩智 / 毎日新聞

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(左)土砂投入が始まった時の辺野古沿岸部の米軍キャンプ・シュワブ南側の海域=沖縄県名護市で2018年12月14日、本社ヘリから (右)土砂投入から3年を迎える同海域=沖縄県名護市で2021年11月20日、本社機「希望」から         



毎日新聞 2022/5/15 東京朝刊 有料記事

「現地は晴れぬ表情」 沖縄が日本に復帰した1972年5月15日。毎日新聞夕刊は朝の表情をこう報じた。天気は雨。米軍機発進が基地から続き、「果たして『のち晴れ』になるだろうか」と結んでいる。

 晴れぬ理由は「基地の中に沖縄がある」実態が変わらず、米国支配が継続しているようなイメージが勝ったからだ。「新しい困難に直面するかもしれない」。屋良朝苗知事は復帰式典で憂慮の念を示した。

 沖縄には「復帰っ子」という言葉がある。72年に生まれた子どもたちを指す。その人たちも50歳。相当の歳月だが、沖縄の課題解決に向けた政府との協力は満足には進んでいない。見えるのはむしろ逆ベクトルの対立構図であり、両者の溝は第2次安倍晋三政権以降深まり、屋良氏の憂慮は現実のものとなった。

 最大の課題は70%に上る米軍基地集中である。「世界一危険な飛行場」と言われた普天間飛行場(宜野湾市)の返還合意は26年前。「山が動いた」ように思えたが、名護市辺野古への移設を巡る対立は法廷闘争にまで発展。埋め立てが強行される景色の中で、祝賀ムードは遠景に退いた。

 沖縄は中国にとって太平洋進出を妨げる位置にある。米中対立が強まる中、尖閣諸島の緊張も伝えられ、沖縄とその離島の戦略的重要性が指摘された。しかし、日米同盟を優先させ、安全保障の論理で沖縄を納得させるのは無理がある。日米同盟の利益は日本全体で受けるのに対し、負担は沖縄がかぶるといういびつな構造だからだ。

 沖縄と向き合うには長い時間軸が必要となる。琉球処分で日本に編入されたのも沖縄戦で本土決戦の防波堤にされたのも、沖縄の意思ではない。そこで、国際安全保障の側面から「いま」をいくら強調したところでかみ合うはずもない。

 基地容認を尺度に振興予算を増減させる「アメとムチ」の圧力に至っては、分断を広げるだけだ。

 ロシアのウクライナ侵攻は、米国の抑止力の衰えをあらわにし、軍拡の時代到来を予感させている。日米安保体制の再検討が迫られ、その中で沖縄の基地集中問題を検討していく余地は十分にあるだろう。

 時代の変わり目を捉え、米国の扉を開けるのは政治の強い意志である。自民党にはかつて、沖縄に心を寄せ行動を起こした政治家が何人もいた。それが復帰などの歴史に結実した。

 東大学長だった茅誠司氏は沖縄訪問を契機にしょく罪の意識を強め、今からでもできるだけの手を打とうと考えるようになった。その心の状態を「沖縄病」と名付け、「沖縄病第1号」を自ら名乗ったという。

 岸田文雄政権にはぜひとも沖縄病を勧めたい。

 国は辺野古沖の軟弱地盤にまだ大金を投入し続けるつもりなのか?ど素人私がこのニュースを覗き見する度に、いつまでも完成しない埋め立て工事に感じる。仮に滑走路が出来たとしても、以前の沖縄の米軍のトップが、最新鋭の戦闘機には滑走路の長さが足りないと話していたテレビも見たことがある。役立たずの空軍基地ではないのかい?

 私は福岡市で生まれ育ったが、福岡には空軍基地もあったし、子供の頃、米軍の高射砲も公園から見たこともある。日米安保条約を第一に考えるならば日本中に基地を分散させるしかないのじゃーないのかい?それが、いやだったら自衛隊を軍隊に改憲して日本軍の基地を全国に設置するしかないだろう。18~19歳くらいの時、中学校の恩師の家に友と二人で押しかけて、当時の社会党の「非武装中立論」はナンセンスだと大声で先生と議論したことも思い出す(笑)

 今日の沖縄本土復帰50年 記念式典で岸田総理は、アメリカ軍キャンプの住宅地区を返還してもらって緑地公園として利用できるようするとか何とか話していたけど普天間基地移設問題と関係があるのかな?(笑)

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