最後の福岡国際マラソン 細谷が2位 2時間8分16秒
~NHK NEWS WEB 2021年12月5日 19時24分
テレビ放送で、はっきり分からなかったけど細谷もゴールして倒れたんじゃ~なかったかな?スポンサー企業のマイナビの社長だったのか?優勝のケニアのギザエ選手に被せる予定の月桂樹を持って立ちすくんだままの映像でテレビは終わった。ギエザの優勝インタビューも疲労で出来なかったようだ。3番手?の選手はゴールして倒れこんで担架で運ばれていたね。
福岡国際マラソンの歴史
日本選手で最初にオリンピック出場を果たした金栗四三の功績をたたえて、1947年に熊本で開催された「朝日マラソン」が始まりで、福岡のほか、香川や静岡、広島など日本各地で開催され、1959年から福岡での開催が定着し、ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、アメリカのフランク・ショーター選手が4連覇を達成した1974年に今の大会名の「福岡国際マラソン」となった。
1979年の大会では前年に初優勝した瀬古利彦選手(福岡国際マラソンに5回出場し4回の優勝)が宗兄弟(宗猛 宗茂)との三つどもえの大接戦を制した。
写真は瀬古が早稲田のシャツを着ているのでその前年のよう。
(17番)中山選手はソウルオリンピックの代表選考会となった1987年の大会を独走で制した。(6番は、谷口浩美)
先に平和台球場から西鉄ライオンズが立ち去ったけど、今度は平和台球場からマラソンが東京や大阪に移転か?故郷が無くなっていくよう~(泣)
~NHK NEWS WEB 2021年12月5日 19時24分
テレビ放送で、はっきり分からなかったけど細谷もゴールして倒れたんじゃ~なかったかな?スポンサー企業のマイナビの社長だったのか?優勝のケニアのギザエ選手に被せる予定の月桂樹を持って立ちすくんだままの映像でテレビは終わった。ギエザの優勝インタビューも疲労で出来なかったようだ。3番手?の選手はゴールして倒れこんで担架で運ばれていたね。
福岡国際マラソンの歴史
日本選手で最初にオリンピック出場を果たした金栗四三の功績をたたえて、1947年に熊本で開催された「朝日マラソン」が始まりで、福岡のほか、香川や静岡、広島など日本各地で開催され、1959年から福岡での開催が定着し、ミュンヘンオリンピックの金メダリスト、アメリカのフランク・ショーター選手が4連覇を達成した1974年に今の大会名の「福岡国際マラソン」となった。
1979年の大会では前年に初優勝した瀬古利彦選手(福岡国際マラソンに5回出場し4回の優勝)が宗兄弟(宗猛 宗茂)との三つどもえの大接戦を制した。
写真は瀬古が早稲田のシャツを着ているのでその前年のよう。
(17番)中山選手はソウルオリンピックの代表選考会となった1987年の大会を独走で制した。(6番は、谷口浩美)
先に平和台球場から西鉄ライオンズが立ち去ったけど、今度は平和台球場からマラソンが東京や大阪に移転か?故郷が無くなっていくよう~(泣)