開高健=1965年6月撮影
毎日新聞 2021/8/7 東京朝刊 有料記事
祭りのあとのけだるさこそ味わうべし。燃え盛るほどいっそすがすがしく、くすぶればただいらだたしい。明日閉幕の東京オリンピックに後ろめたさが張り付くのは、新型コロナウイルスのためばかりではあるまい。心おきなく楽しむには、オリンピック本体のまがまがしさをあまりに多く見せつけられた。
57年前の東京五輪が甘美に語られがちなのも眉唾だ。神話を打ち砕くには開高健「ずばり東京」の一読をお勧めする。27歳で華々しく芥川賞作家になったものの小説が書けない30代の青年は、五輪開催へ急激に変貌しつつあった東京をくまなく歩き、見聞きし、調べ、週刊誌に1年余連載した。時代の記録である。
集団就職の金の卵、自動車解体屋、鉄橋開通で消えた隅田川の渡守、まだ生き残っていた紙芝居屋、ある国の名前を冠して呼ばれた特殊浴場の従業員、「マンション」を名乗り始めた高級アパート業者、スリ、画商、競馬の予想屋、流しの演歌師、都庁職員、ヒッチハイカー、深夜喫茶、初期の人間ドック、うたごえ酒場、少年鑑別所、労災病院……。
戦前の泣く子も黙る参謀本部、五輪後、旧社会党本部ができた三宅坂には、当時は「飯場」と呼ばれた大手建設会社の簡易作業員宿舎が建ち並び、主に東北の出稼ぎ労働者約3000人が住んでいた。
五輪関連工事の労災死者数が出ている。競技場・高層ホテル・地下鉄・高速道路・モノレール・東海道新幹線で計303人。新幹線を除いた負傷者1755人。感染症が流行していなくても、昔から「五輪に犠牲は必要」(バッハ国際オリンピック委員会会長)だったのだ。
開高は開会式を見た。冷めている。五輪本番のルポは以上。それでもこれが五輪文学(?)の傑作なのは、都市が無理な開発を競い合うオリンピックの病理を、生きた人間の姿を通して描いているからだ。
* *
1964年は東京五輪の3カ月前、自民党総裁選があった。総裁任期満了で3選を目指す池田勇人首相に、佐藤栄作元蔵相と藤山愛一郎元外相が挑む構図である。
共に吉田茂元首相の愛弟子だった池田と佐藤、保守本流同士の対決は各派閥入り乱れて「実弾」(現金)が飛び交う激戦となり、「ニッカ(2派閥からもらう)・サントリー(3派閥からもらう)・オールドパー(方々からもらって投票先不明)」の隠語が生まれたほどだ。
池田は勝ったが、「40票以上引き離す」と豪語しながら過半数を4票上回る辛勝だった。党長老の松村謙三が「一輪咲いても花は花」と池田を慰め、佐藤は日記に「残念至極、長蛇を逸した感」と記す。
2カ月後、池田はがんセンターに入院。10月10日の五輪開会式に病院から出席したが、閉会翌日、退陣を表明。後継に佐藤を指名したのは、総裁選結果が決め手だった。
開高は総裁選も見た。ルポの表題は「銭の花道」。だが、いつもの調子が出ない。途中で、日本には報道の自由、批評の自由がないとこぼす。政治記事が何を言っているか分からないと嘆く。最後は「私はなにも知ることができなかった。つかまえることができなかった。コーフクだ!(筆者注・降伏の意なるか)」とさじを投げて終わる。
無残である。でも、誠実である。開高よ、嘆くな。当の池田や佐藤ですら、事がこう転がるとは知らなかった。確かなものは何もつかんでいないのに、自信ありげに語る。意想外の展開に政治の醍醐(だいご)味を覚える。政治家の業である。
何の因縁か、今また菅義偉首相の党総裁任期と衆院選と五輪がもつれ合う政局を迎えている。読者よ、確信ありげな評論家を信じるな。菅氏でさえ何がどうなっているのか分かっちゃいない。でなければ、こんなことにはなっていない。ところが、恐らく本人はこの展開にますます燃えている。因業な性分である。
* *
64年の五輪開会中も世界は激動していた。旧ソ連のフルシチョフ共産党第1書記解任、英国で保守党から労働党に13年ぶりの政権交代、極めつきが中国の核実験初成功。池田から佐藤への交代は、そうした世界と無関係に政局の論理で運ばれた。
五輪は大成功。歴史の記憶はそんな物語として定着している。日本人は満足し、栄光に難癖つけるやからは単なるひねくれ者である。
だが、五輪がはらんでいた荒廃は、佐藤政権時代に次々と噴き出す。コロナ死者数のべ1万5000人超。69~72年には毎年それ以上の国民が交通事故で死んだ。大学紛争が吹き荒れたのは五輪の4年後。五輪当時15歳だった菅君は東京の大学に入り、やじ馬で新宿騒乱を見物したそうだ。公害国会は70年。五輪を境に日本は根こそぎ変わった。今回の五輪は、さらに病んでいる。
五輪閉会の翌月、開高は朝日新聞臨時特派員としてベトナムの戦場へ向かう。「平穏からの逃避」(吉本隆明)と批判もされたが、東京の荒廃が彼を戦地へ押し出したのではないか。やがて釣りに没頭することになる放浪の原点は、東京五輪だったのかもしれない。(専門記者)(第1土曜日掲載)
興味深い話だな~。開高健さんの小説は『裸の王様』だけを青春時代に読んで「面白い!」と思った。たぶん芥川賞作品だというので手にしたのだと思う。ベ平連に加入して反戦運動をやっていたことは知らなかった。
でも私が高校2年の時に開催された東京オリンピックの裏側のルポジュタージュ「ずばり東京」は面白そうだ。たまたま1962年の夏と1964年の春に行った東京の変貌がこの目に焼き付いているので、上で書かれていることがイメージできる。伊藤智永さんの「菅氏でさえ何がどうなっているのか分かっちゃいない。でなければ、こんなことにはなっていない。」がいいね~。何はともあれ東京2020の第一幕は今終わろうとしている。後片付けが大変なことになるだろうね!
毎日新聞 2021/8/7 東京朝刊 有料記事
祭りのあとのけだるさこそ味わうべし。燃え盛るほどいっそすがすがしく、くすぶればただいらだたしい。明日閉幕の東京オリンピックに後ろめたさが張り付くのは、新型コロナウイルスのためばかりではあるまい。心おきなく楽しむには、オリンピック本体のまがまがしさをあまりに多く見せつけられた。
57年前の東京五輪が甘美に語られがちなのも眉唾だ。神話を打ち砕くには開高健「ずばり東京」の一読をお勧めする。27歳で華々しく芥川賞作家になったものの小説が書けない30代の青年は、五輪開催へ急激に変貌しつつあった東京をくまなく歩き、見聞きし、調べ、週刊誌に1年余連載した。時代の記録である。
集団就職の金の卵、自動車解体屋、鉄橋開通で消えた隅田川の渡守、まだ生き残っていた紙芝居屋、ある国の名前を冠して呼ばれた特殊浴場の従業員、「マンション」を名乗り始めた高級アパート業者、スリ、画商、競馬の予想屋、流しの演歌師、都庁職員、ヒッチハイカー、深夜喫茶、初期の人間ドック、うたごえ酒場、少年鑑別所、労災病院……。
戦前の泣く子も黙る参謀本部、五輪後、旧社会党本部ができた三宅坂には、当時は「飯場」と呼ばれた大手建設会社の簡易作業員宿舎が建ち並び、主に東北の出稼ぎ労働者約3000人が住んでいた。
五輪関連工事の労災死者数が出ている。競技場・高層ホテル・地下鉄・高速道路・モノレール・東海道新幹線で計303人。新幹線を除いた負傷者1755人。感染症が流行していなくても、昔から「五輪に犠牲は必要」(バッハ国際オリンピック委員会会長)だったのだ。
開高は開会式を見た。冷めている。五輪本番のルポは以上。それでもこれが五輪文学(?)の傑作なのは、都市が無理な開発を競い合うオリンピックの病理を、生きた人間の姿を通して描いているからだ。
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1964年は東京五輪の3カ月前、自民党総裁選があった。総裁任期満了で3選を目指す池田勇人首相に、佐藤栄作元蔵相と藤山愛一郎元外相が挑む構図である。
共に吉田茂元首相の愛弟子だった池田と佐藤、保守本流同士の対決は各派閥入り乱れて「実弾」(現金)が飛び交う激戦となり、「ニッカ(2派閥からもらう)・サントリー(3派閥からもらう)・オールドパー(方々からもらって投票先不明)」の隠語が生まれたほどだ。
池田は勝ったが、「40票以上引き離す」と豪語しながら過半数を4票上回る辛勝だった。党長老の松村謙三が「一輪咲いても花は花」と池田を慰め、佐藤は日記に「残念至極、長蛇を逸した感」と記す。
2カ月後、池田はがんセンターに入院。10月10日の五輪開会式に病院から出席したが、閉会翌日、退陣を表明。後継に佐藤を指名したのは、総裁選結果が決め手だった。
開高は総裁選も見た。ルポの表題は「銭の花道」。だが、いつもの調子が出ない。途中で、日本には報道の自由、批評の自由がないとこぼす。政治記事が何を言っているか分からないと嘆く。最後は「私はなにも知ることができなかった。つかまえることができなかった。コーフクだ!(筆者注・降伏の意なるか)」とさじを投げて終わる。
無残である。でも、誠実である。開高よ、嘆くな。当の池田や佐藤ですら、事がこう転がるとは知らなかった。確かなものは何もつかんでいないのに、自信ありげに語る。意想外の展開に政治の醍醐(だいご)味を覚える。政治家の業である。
何の因縁か、今また菅義偉首相の党総裁任期と衆院選と五輪がもつれ合う政局を迎えている。読者よ、確信ありげな評論家を信じるな。菅氏でさえ何がどうなっているのか分かっちゃいない。でなければ、こんなことにはなっていない。ところが、恐らく本人はこの展開にますます燃えている。因業な性分である。
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64年の五輪開会中も世界は激動していた。旧ソ連のフルシチョフ共産党第1書記解任、英国で保守党から労働党に13年ぶりの政権交代、極めつきが中国の核実験初成功。池田から佐藤への交代は、そうした世界と無関係に政局の論理で運ばれた。
五輪は大成功。歴史の記憶はそんな物語として定着している。日本人は満足し、栄光に難癖つけるやからは単なるひねくれ者である。
だが、五輪がはらんでいた荒廃は、佐藤政権時代に次々と噴き出す。コロナ死者数のべ1万5000人超。69~72年には毎年それ以上の国民が交通事故で死んだ。大学紛争が吹き荒れたのは五輪の4年後。五輪当時15歳だった菅君は東京の大学に入り、やじ馬で新宿騒乱を見物したそうだ。公害国会は70年。五輪を境に日本は根こそぎ変わった。今回の五輪は、さらに病んでいる。
五輪閉会の翌月、開高は朝日新聞臨時特派員としてベトナムの戦場へ向かう。「平穏からの逃避」(吉本隆明)と批判もされたが、東京の荒廃が彼を戦地へ押し出したのではないか。やがて釣りに没頭することになる放浪の原点は、東京五輪だったのかもしれない。(専門記者)(第1土曜日掲載)
興味深い話だな~。開高健さんの小説は『裸の王様』だけを青春時代に読んで「面白い!」と思った。たぶん芥川賞作品だというので手にしたのだと思う。ベ平連に加入して反戦運動をやっていたことは知らなかった。
でも私が高校2年の時に開催された東京オリンピックの裏側のルポジュタージュ「ずばり東京」は面白そうだ。たまたま1962年の夏と1964年の春に行った東京の変貌がこの目に焼き付いているので、上で書かれていることがイメージできる。伊藤智永さんの「菅氏でさえ何がどうなっているのか分かっちゃいない。でなければ、こんなことにはなっていない。」がいいね~。何はともあれ東京2020の第一幕は今終わろうとしている。後片付けが大変なことになるだろうね!