ギリシャで採火された聖火を背景に記念撮影する笠原一也さん=ギリシャで1997年12月19日(笠原さん提供)
毎日新聞 2021年2月9日 17時00分
東京オリンピック・パラリンピックは本来の五輪の理念を置き去りにし、ひたすら開催へ向け、突き進んでいる。元日本オリンピック委員会(JOC)事務局長で1998年長野冬季五輪などに携わってきた笠原一也氏(82)にはそう見える。「このままでは東京で五輪の理念が壊れてしまったと言われかねない」と警鐘を鳴らす。【村上正】
新型コロナウイルスの感染が拡大し、安倍晋三首相(当時)が昨年3月に1年程度の延期を申し出た時から違和感があった。何が何でも開催する。そういう強い決意がにじんでいた。延期を経てまで開催する意義について議論は深まっていたのだろうか。
五輪憲章は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すため、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」とうたっている。記録や勝敗を追い求める競技大会とは違う。「スポーツを通じ若者を教育し、平和でより良い世界の構築に貢献する」ことを目的とする。4年に1度の五輪がその集大成となり、次の4年で新たな運動が展開されていく。その流れを東京大会は変えた。
昨年の時点で開催の判断は国際オリンピック委員会(IOC)に委ね、五輪の目的が果たせないのであれば、中止の判断も致し方ないと思っていた。
元日本オリンピック委員会事務局長、笠原一也氏=東京都港区で2015年6月22日、内藤絵美撮影
私が携わった長野五輪の際、IOCのサマランチ会長(当時)が「五輪は教育なんだ。教育活動だ」と話していたのが印象深い。各国・地域の選手団が日本に集い、異文化を持ち帰る。象徴的だったのが各国のゲストハウスだった。各国はレストランや居酒屋、お寺をゲストハウスとして借り、地元住民を招き、食べ物などを振る舞って自国をアピールし交流を深めた。そこには夢や希望、ロマンが詰まっていた。
世界的流行が続く新型コロナの収束が見通せず、観客のあり方が今、焦点となっている。IOCや組織委員会が日本在住者に限ったり、無観客としたりする案を持っているとも報じられている。それでは五輪開催の意義を果たすことができるのか。
観戦に訪れる世界の人たちも五輪を形作る重要な役割を担う。海外からの観客を入れないとすれば、市民との文化交流の機会を失うことになる。さらに無観客となれば単なる選手権大会でしかない。
PCR検査を繰り返し、選手の行動を規制するのであれば、交流の場の選手村も必要ない。各選手団で個別の宿泊施設を利用した方がまだいい。このままでは「五輪ではない五輪」が開催されることになる。
ここにきて、組織委のトップである森喜朗会長が、相互理解を求めている五輪憲章に反する女性蔑視発言をしたことも残念だった。
五輪は84年ロサンゼルス大会を転換点に商業主義を追い求め、巨大なイベントになりすぎている。IOCももがいている感じがしてならない。古代五輪は1200年近く続いたが、近代五輪はその10分の1の125年で何度も曲がり角を迎え、再びその時が来ている。
長野冬季五輪の会場では選手と観客が盛んに交流していた。女子モーグルで8位入賞したリズ・マキンタイヤー選手(米国)は観戦に来た子供たちとの記念撮影に気軽に応じていた=長野市の飯綱高原で
東京大会は、選手村の半径8キロ圏内に85%の競技会場を密集させるコンパクト五輪を訴え招致に成功したが、計画は次々に変更されてきた。何が何でも開催と突き進めば、日本が五輪の理念を壊したと後々に世界から言われかねない。五輪を表面的にしか考えていない関係者が多いとも感じている。
東京五輪に関わる後輩たちに会い、このような話をすると、「笠原さんは古いですよ」と言われるが、本当にそれでよいのだろうか。コロナ禍だからこそ、改めて開催意義について考える時が来ているのではないか。
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かさはら・かずや
埼玉県熊谷市出身。文部省(現文部科学省)競技スポーツ課長、日本オリンピック委員会事務局長、国立スポーツ科学センター長などを歴任。現在は日本オリンピック・アカデミー名誉会長。
笠原さんの意見に共感します。
♪どこに新しいものがございましょう。 生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。 何から何まで 真っ暗闇よ すじの通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆のからみあい どこに男の夢がある~
う~ん「傷だらけの人生ならぬ」傷だらけのオリンピックになっちまったね。
毎日新聞 2021年2月9日 17時00分
東京オリンピック・パラリンピックは本来の五輪の理念を置き去りにし、ひたすら開催へ向け、突き進んでいる。元日本オリンピック委員会(JOC)事務局長で1998年長野冬季五輪などに携わってきた笠原一也氏(82)にはそう見える。「このままでは東京で五輪の理念が壊れてしまったと言われかねない」と警鐘を鳴らす。【村上正】
新型コロナウイルスの感染が拡大し、安倍晋三首相(当時)が昨年3月に1年程度の延期を申し出た時から違和感があった。何が何でも開催する。そういう強い決意がにじんでいた。延期を経てまで開催する意義について議論は深まっていたのだろうか。
五輪憲章は「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すため、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てる」とうたっている。記録や勝敗を追い求める競技大会とは違う。「スポーツを通じ若者を教育し、平和でより良い世界の構築に貢献する」ことを目的とする。4年に1度の五輪がその集大成となり、次の4年で新たな運動が展開されていく。その流れを東京大会は変えた。
昨年の時点で開催の判断は国際オリンピック委員会(IOC)に委ね、五輪の目的が果たせないのであれば、中止の判断も致し方ないと思っていた。
元日本オリンピック委員会事務局長、笠原一也氏=東京都港区で2015年6月22日、内藤絵美撮影
私が携わった長野五輪の際、IOCのサマランチ会長(当時)が「五輪は教育なんだ。教育活動だ」と話していたのが印象深い。各国・地域の選手団が日本に集い、異文化を持ち帰る。象徴的だったのが各国のゲストハウスだった。各国はレストランや居酒屋、お寺をゲストハウスとして借り、地元住民を招き、食べ物などを振る舞って自国をアピールし交流を深めた。そこには夢や希望、ロマンが詰まっていた。
世界的流行が続く新型コロナの収束が見通せず、観客のあり方が今、焦点となっている。IOCや組織委員会が日本在住者に限ったり、無観客としたりする案を持っているとも報じられている。それでは五輪開催の意義を果たすことができるのか。
観戦に訪れる世界の人たちも五輪を形作る重要な役割を担う。海外からの観客を入れないとすれば、市民との文化交流の機会を失うことになる。さらに無観客となれば単なる選手権大会でしかない。
PCR検査を繰り返し、選手の行動を規制するのであれば、交流の場の選手村も必要ない。各選手団で個別の宿泊施設を利用した方がまだいい。このままでは「五輪ではない五輪」が開催されることになる。
ここにきて、組織委のトップである森喜朗会長が、相互理解を求めている五輪憲章に反する女性蔑視発言をしたことも残念だった。
五輪は84年ロサンゼルス大会を転換点に商業主義を追い求め、巨大なイベントになりすぎている。IOCももがいている感じがしてならない。古代五輪は1200年近く続いたが、近代五輪はその10分の1の125年で何度も曲がり角を迎え、再びその時が来ている。
長野冬季五輪の会場では選手と観客が盛んに交流していた。女子モーグルで8位入賞したリズ・マキンタイヤー選手(米国)は観戦に来た子供たちとの記念撮影に気軽に応じていた=長野市の飯綱高原で
東京大会は、選手村の半径8キロ圏内に85%の競技会場を密集させるコンパクト五輪を訴え招致に成功したが、計画は次々に変更されてきた。何が何でも開催と突き進めば、日本が五輪の理念を壊したと後々に世界から言われかねない。五輪を表面的にしか考えていない関係者が多いとも感じている。
東京五輪に関わる後輩たちに会い、このような話をすると、「笠原さんは古いですよ」と言われるが、本当にそれでよいのだろうか。コロナ禍だからこそ、改めて開催意義について考える時が来ているのではないか。
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かさはら・かずや
埼玉県熊谷市出身。文部省(現文部科学省)競技スポーツ課長、日本オリンピック委員会事務局長、国立スポーツ科学センター長などを歴任。現在は日本オリンピック・アカデミー名誉会長。
笠原さんの意見に共感します。
♪どこに新しいものがございましょう。 生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。 何から何まで 真っ暗闇よ すじの通らぬ ことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆のからみあい どこに男の夢がある~
う~ん「傷だらけの人生ならぬ」傷だらけのオリンピックになっちまったね。