毎日新聞 2020年4月27日 東京朝刊
東京五輪・パラリンピック大会が結局中止になる可能性は小さくない。
そうなってもあわてぬよう、「戦略的中止」案(プランB)を準備しておくに越したことはない。
中止が前提の準備は大きな抵抗を伴うが、調整困難だからと先送りすれば、近い将来、破局的な混乱に陥る可能性が高い。
◇
ほんの1カ月前、日本のメディアの関心は五輪問題に集中していた。
3月24日、安倍晋三首相がIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長と電話協議し、1年程度延期――と決定。ここを境にニュースは感染症自体へ回帰した。
翌25日、感染者が急増した東京都の小池百合子知事が緊急記者会見に臨み、都民に外出自粛を要請。同29日、志村けん急死の衝撃が全国へ広がった。
以来、五輪延期への疑問は封印されている。
だが、多くの専門家が新型コロナウイルスの流行は1年以上続く――という見方。有効なワクチンや特効薬の製品化にしても、少なくとも1年半かかる――という予測が多い。
しかも、途上国は先進国に遅れて感染が広がるという。来夏、全世界のトップアスリートを東京に招く計画は妄想に近い。
◇
科学的、合理的に考えれば、1年延期は無理な選択だった。それでも首相が決断したのは、既に高まった国民の期待を裏切れぬとの思いからだろう。
大会組織委員会会長の森喜朗元首相が、2021年の今ごろもコロナ禍なら大会中止か?と聞かれ、こう答えている。
「そういうことは考えたくないと思っている。(私も)賭けたんだ、21年に。それに科学技術の進歩に賭けなかったら、人類は滅亡してしまう」(朝日新聞3日付インタビュー)
驚くほど率直だが、賭けに負けたらどうするのだろう。その対策も考えておくことが、国家なり、指導者なりに期待されているのではないだろうか。
戦史研究で定評ある「失敗の本質/日本軍の組織論的研究」(中公文庫)によれば、日本軍が自壊、惨敗したインパール作戦(1944年3~7月、インド北部)の敗因は、作戦自体の賭博性と緊急時対応計画の欠落にあった。
同書は、インパールで対戦した英軍司令官のこんな回想を引いている。
「日本軍の欠陥は、作戦計画がかりに誤っていた場合に、これをただちに立て直す心構えがまったくなかったことである」
◇
五輪延期決定直後の共同通信世論調査で「1年程度は適切」が78・7%、「中止すべきだった」は5・9%にとどまった。
民主主義国の指導者は権力の基礎を国民の支持に置いている。なお五輪に期待をつなぐ国民に対し、消極的に中止を説くだけでは支持は得られない。
だが、そこに前向きな意味、再起への力強く具体的なビジョンを盛り込むとすればどうだろう。
現代の五輪は巨額の放映権料、スポンサー料を背景とする腐敗が指摘されて久しい。ウイルスが資本主義の見直しを迫る中、東京五輪の挫折を逆手に取り、五輪システムの矛盾を洗い出す。日本主導で新しいビジョンを生みだし、それを携え、改めて大会誘致に挑戦したらどうか。
延期の費用負担回避にきゅうきゅうとするだけの政治は見たくない。(敬称略)(特別編集委員)=毎週月曜日に掲載
小父さんは、ギリシアでの聖火リレーの為の採火式の時から、その後続けることが出来るの~?と感じて見ていた。新コロナウイルス対策の後手後手も叫ばれて久しいが、聖火リレーの段取りも全く一緒だったね。もう、現在の段階で来年まともなオリンピックが開催されると思っている人はいないだろうに・・・。もし実施出来ても限られた国のアスリートだけの参加によるものか、大相撲のような無観客ゲームか?それなのに、この山田孝男さん以外に公で言っている人はいないね。昨日の半バラエテイ的な読売テレビの「そこまで言って委員会NP」では8人のパネリストの内一人だけが中止意見を述べていたのだが、中止論は禁句なのかね~?まあ、税金をどぶに捨てることが好きなリーダーたちばかりだ。
東京五輪・パラリンピック大会が結局中止になる可能性は小さくない。
そうなってもあわてぬよう、「戦略的中止」案(プランB)を準備しておくに越したことはない。
中止が前提の準備は大きな抵抗を伴うが、調整困難だからと先送りすれば、近い将来、破局的な混乱に陥る可能性が高い。
◇
ほんの1カ月前、日本のメディアの関心は五輪問題に集中していた。
3月24日、安倍晋三首相がIOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長と電話協議し、1年程度延期――と決定。ここを境にニュースは感染症自体へ回帰した。
翌25日、感染者が急増した東京都の小池百合子知事が緊急記者会見に臨み、都民に外出自粛を要請。同29日、志村けん急死の衝撃が全国へ広がった。
以来、五輪延期への疑問は封印されている。
だが、多くの専門家が新型コロナウイルスの流行は1年以上続く――という見方。有効なワクチンや特効薬の製品化にしても、少なくとも1年半かかる――という予測が多い。
しかも、途上国は先進国に遅れて感染が広がるという。来夏、全世界のトップアスリートを東京に招く計画は妄想に近い。
◇
科学的、合理的に考えれば、1年延期は無理な選択だった。それでも首相が決断したのは、既に高まった国民の期待を裏切れぬとの思いからだろう。
大会組織委員会会長の森喜朗元首相が、2021年の今ごろもコロナ禍なら大会中止か?と聞かれ、こう答えている。
「そういうことは考えたくないと思っている。(私も)賭けたんだ、21年に。それに科学技術の進歩に賭けなかったら、人類は滅亡してしまう」(朝日新聞3日付インタビュー)
驚くほど率直だが、賭けに負けたらどうするのだろう。その対策も考えておくことが、国家なり、指導者なりに期待されているのではないだろうか。
戦史研究で定評ある「失敗の本質/日本軍の組織論的研究」(中公文庫)によれば、日本軍が自壊、惨敗したインパール作戦(1944年3~7月、インド北部)の敗因は、作戦自体の賭博性と緊急時対応計画の欠落にあった。
同書は、インパールで対戦した英軍司令官のこんな回想を引いている。
「日本軍の欠陥は、作戦計画がかりに誤っていた場合に、これをただちに立て直す心構えがまったくなかったことである」
◇
五輪延期決定直後の共同通信世論調査で「1年程度は適切」が78・7%、「中止すべきだった」は5・9%にとどまった。
民主主義国の指導者は権力の基礎を国民の支持に置いている。なお五輪に期待をつなぐ国民に対し、消極的に中止を説くだけでは支持は得られない。
だが、そこに前向きな意味、再起への力強く具体的なビジョンを盛り込むとすればどうだろう。
現代の五輪は巨額の放映権料、スポンサー料を背景とする腐敗が指摘されて久しい。ウイルスが資本主義の見直しを迫る中、東京五輪の挫折を逆手に取り、五輪システムの矛盾を洗い出す。日本主導で新しいビジョンを生みだし、それを携え、改めて大会誘致に挑戦したらどうか。
延期の費用負担回避にきゅうきゅうとするだけの政治は見たくない。(敬称略)(特別編集委員)=毎週月曜日に掲載
小父さんは、ギリシアでの聖火リレーの為の採火式の時から、その後続けることが出来るの~?と感じて見ていた。新コロナウイルス対策の後手後手も叫ばれて久しいが、聖火リレーの段取りも全く一緒だったね。もう、現在の段階で来年まともなオリンピックが開催されると思っている人はいないだろうに・・・。もし実施出来ても限られた国のアスリートだけの参加によるものか、大相撲のような無観客ゲームか?それなのに、この山田孝男さん以外に公で言っている人はいないね。昨日の半バラエテイ的な読売テレビの「そこまで言って委員会NP」では8人のパネリストの内一人だけが中止意見を述べていたのだが、中止論は禁句なのかね~?まあ、税金をどぶに捨てることが好きなリーダーたちばかりだ。