2012年12月05日 毎日新聞 ◇岩見隆夫(いわみ・たかお=毎日新聞客員編集委員)
先週の当コラムでは十五の政党名と党首名を列記した。いまは十二に減っている。まるで日替わりメニューだ。
一週間の変化は、減税と反TPPが合流して脱原発になり、日本未来の党が旗揚げすると生活、脱原発が合流、みどりは衆院選に不参加という。つまり十五のうち四つ消えて一つ新規に加わり、都合三減となった。この異常な離合集散、戦後政治のなかで初めてみる珍現象だ。有権者はとてもついていけない。
ところで、「この指止まれ」
と呼びかけ日本未来の党を結成した滋賀県の嘉田由紀子知事、手勢が一人もいないのに、その日のうちに七十三人の国会議員(十一月二十八日現在、衆院六十一人、参院十二人)が指に止まった。嘉田さんが話題の女性知事であることは知っているが、一気に民主、自民両党につぐ第三党の党首に納まるほどの実力者という認識はまったくなかった。やはり珍事だ。
一体何が始まったのか。政界通の一人が、
「嘉田さん、グリムの赤ずきんちゃんみたいだなあ」 と言うのである。
グリム童話集の『赤ずきん』は次のようなお話−−。
赤ずきんと呼ばれる女の子がいた。彼女はお使いを頼まれて森の向こうのおばあさんの家に向かうが、途中で一匹のオオカミに遭い、そそのかされて道草をする。
オオカミは先回りしておばあさんの家へ行き、おばあさんを食べてしまう。そして、おばあさんの姿に成りかわり、赤ずきんが来るのを待つ。到着すると、おばあさんに化けていたオオカミに赤ずきんも食べられてしまう。
満腹になったオオカミが寝入っているところを、通りかかった猟師が気づき、オオカミの腹のなかから二人を助け出す。赤ずきんは言いつけを守らなかった自分を悔い反省して、いい子になる−−。
嘉田新党ドラマと必ずしもぴったりしない筋書きだが、だれでもオオカミ役について、旧国民の生活が第一の小沢一郎代表を連想する。
オオカミにそそのかされ、結局食べられてしまう。嘉田さんもそうだったのではないか、と。
嘉田さんは九月末の全国知事会で、小沢さんの側近である岩手県の達増拓也知事から声をかけられたのが、党首担ぎ出しの始まりだったという。以後、小沢・嘉田会談が三回開かれた。嘉田さんは最初、
「小沢さんたちとだけ組むと、小沢さんの色が濃くなり過ぎてしまう」
と漏らしたが、小沢さんに近い仲介役の旧脱原発共同代表、山田正彦元農相が、
「私と河村たかし名古屋市長(旧脱原発共同代表)、亀井静香元金融相(同幹事長)も加わる。結構濃い三人だから、小沢さんの色が薄まるだろう」
と説得したという(十一月二十八日付『読売新聞』)。小沢カラーがネックになっている。クリーンと品格を掲げてきた嘉田さんは、その点が気がかりだったのだろう。
◇〈シャッポの取り換え〉イメチェン作戦に協力
だが、OKを取ると、小沢さんは、
「嘉田知事から呼びかけがあった。応じるかどうか」
と旧生活の幹事会にはかり、同意を取りつけた。これは逆、呼びかけたのは小沢さんのほうだが、ウソも方便なのだろう。こうして、嘉田赤ずきんは小沢オオカミに食べられた?
「小沢さんは表に出ないでほしい」
と注文をつけたのは嘉田さんのほうらしいから、そそのかされ食べられるに当たって、嘉田赤ずきんは賢明なのか臆病なのか、オオカミを隠そうとした。へんな話だ。なぜなら、参加議員の八割を旧生活で占めているのは明白なのに、その党首だった小沢さんをいまさら裏に回したところで、なにほどの意味があるのだろう。
旧生活は衆院選の洗礼を受ければ、二分の一か三分の一に激減すると選挙プロたちは予測していた。そこが小沢さんの悩みで、シャッポを取り換え党のイメチェンを図る選挙作戦に、結果的に嘉田さんは協力したのである。嘉田さん側には、食べられたフリして、〈卒原発〉という大目標への流れを作りたいという願望があるのかもしれない。とにかく、童話とは少しずれてきている。
グリム兄弟が生まれたドイツの社会史研究者によると、『赤ずきん』は近世の初期、飢饉が続くなか、口減らしのために山に姥捨てにされたおばあさんのところまで、内緒で食料を届けに行った少女の物語ではないかという。となると、いまに通じるものがある。原発事故の恐怖だけでなく、内外の難題は限りがない。被害者や弱者(姥捨て)救済のため政治(赤ずきん)に出番が求められている。
それを邪魔するオオカミに小沢さんが見立てられたのでは、小沢さんにも酷というものだろう。ただ、現代の赤ずきんとオオカミは共通の目標に向かって共闘しているようにも映るが、果たしてそうなのか。選挙対策のためだけに、小沢オオカミが嘉田赤ずきんを上手に利用しようとしたのだとすれば、グリム童話に似たストーリーになりかねない。
昔もいまも、政界は食うか食われるか、生き残りをかけた争いの舞台であり、たえずオオカミと赤ずきんが入り乱れ、真贋の判定がむずかしい。ほとんどの政治家がオオカミと赤ずきんの両面性を持っているから、ややこしいのだ。しかし、よりオオカミ的なのはだれか、を見極めなければならないのである。
そこで『赤ずきん』のなかの〈通りかかった猟師〉のこと、私たち有権者である。十二月十六日の投票日は、オオカミの腹の中から赤ずきんたちを助け出す日なのだろう。嘉田さんは赤ずきんのように映っているが、必ずしもそうとは限らない。慎重に観察するのが有権者の義務だ。
嘉田さんだけではない。すべての政党、候補者について、赤ずきん型か、オオカミ型か、両者の折衷型か、という目で見たほうがいい。
<今週のひと言> NHK〈純と愛〉、少々静かにならないか。 (サンデー毎日2012年12月16日号)
これは分かりやすい例えだな。あ〜あ来週の今頃は清き1票を投じているんだ。夜の開票は面白そうだけど、投票は憂鬱だね。
モンティ伊首相が辞意、政権運営継続は「不可能」と
ありゃ、スーパーマリオ君がこけたよ。他に連鎖しなければいいが。なんと前任者ベルルスコーニ氏が再び首相を目指すとな!
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先週の当コラムでは十五の政党名と党首名を列記した。いまは十二に減っている。まるで日替わりメニューだ。
一週間の変化は、減税と反TPPが合流して脱原発になり、日本未来の党が旗揚げすると生活、脱原発が合流、みどりは衆院選に不参加という。つまり十五のうち四つ消えて一つ新規に加わり、都合三減となった。この異常な離合集散、戦後政治のなかで初めてみる珍現象だ。有権者はとてもついていけない。
ところで、「この指止まれ」
と呼びかけ日本未来の党を結成した滋賀県の嘉田由紀子知事、手勢が一人もいないのに、その日のうちに七十三人の国会議員(十一月二十八日現在、衆院六十一人、参院十二人)が指に止まった。嘉田さんが話題の女性知事であることは知っているが、一気に民主、自民両党につぐ第三党の党首に納まるほどの実力者という認識はまったくなかった。やはり珍事だ。
一体何が始まったのか。政界通の一人が、
「嘉田さん、グリムの赤ずきんちゃんみたいだなあ」 と言うのである。
グリム童話集の『赤ずきん』は次のようなお話−−。
赤ずきんと呼ばれる女の子がいた。彼女はお使いを頼まれて森の向こうのおばあさんの家に向かうが、途中で一匹のオオカミに遭い、そそのかされて道草をする。
オオカミは先回りしておばあさんの家へ行き、おばあさんを食べてしまう。そして、おばあさんの姿に成りかわり、赤ずきんが来るのを待つ。到着すると、おばあさんに化けていたオオカミに赤ずきんも食べられてしまう。
満腹になったオオカミが寝入っているところを、通りかかった猟師が気づき、オオカミの腹のなかから二人を助け出す。赤ずきんは言いつけを守らなかった自分を悔い反省して、いい子になる−−。
嘉田新党ドラマと必ずしもぴったりしない筋書きだが、だれでもオオカミ役について、旧国民の生活が第一の小沢一郎代表を連想する。
オオカミにそそのかされ、結局食べられてしまう。嘉田さんもそうだったのではないか、と。
嘉田さんは九月末の全国知事会で、小沢さんの側近である岩手県の達増拓也知事から声をかけられたのが、党首担ぎ出しの始まりだったという。以後、小沢・嘉田会談が三回開かれた。嘉田さんは最初、
「小沢さんたちとだけ組むと、小沢さんの色が濃くなり過ぎてしまう」
と漏らしたが、小沢さんに近い仲介役の旧脱原発共同代表、山田正彦元農相が、
「私と河村たかし名古屋市長(旧脱原発共同代表)、亀井静香元金融相(同幹事長)も加わる。結構濃い三人だから、小沢さんの色が薄まるだろう」
と説得したという(十一月二十八日付『読売新聞』)。小沢カラーがネックになっている。クリーンと品格を掲げてきた嘉田さんは、その点が気がかりだったのだろう。
◇〈シャッポの取り換え〉イメチェン作戦に協力
だが、OKを取ると、小沢さんは、
「嘉田知事から呼びかけがあった。応じるかどうか」
と旧生活の幹事会にはかり、同意を取りつけた。これは逆、呼びかけたのは小沢さんのほうだが、ウソも方便なのだろう。こうして、嘉田赤ずきんは小沢オオカミに食べられた?
「小沢さんは表に出ないでほしい」
と注文をつけたのは嘉田さんのほうらしいから、そそのかされ食べられるに当たって、嘉田赤ずきんは賢明なのか臆病なのか、オオカミを隠そうとした。へんな話だ。なぜなら、参加議員の八割を旧生活で占めているのは明白なのに、その党首だった小沢さんをいまさら裏に回したところで、なにほどの意味があるのだろう。
旧生活は衆院選の洗礼を受ければ、二分の一か三分の一に激減すると選挙プロたちは予測していた。そこが小沢さんの悩みで、シャッポを取り換え党のイメチェンを図る選挙作戦に、結果的に嘉田さんは協力したのである。嘉田さん側には、食べられたフリして、〈卒原発〉という大目標への流れを作りたいという願望があるのかもしれない。とにかく、童話とは少しずれてきている。
グリム兄弟が生まれたドイツの社会史研究者によると、『赤ずきん』は近世の初期、飢饉が続くなか、口減らしのために山に姥捨てにされたおばあさんのところまで、内緒で食料を届けに行った少女の物語ではないかという。となると、いまに通じるものがある。原発事故の恐怖だけでなく、内外の難題は限りがない。被害者や弱者(姥捨て)救済のため政治(赤ずきん)に出番が求められている。
それを邪魔するオオカミに小沢さんが見立てられたのでは、小沢さんにも酷というものだろう。ただ、現代の赤ずきんとオオカミは共通の目標に向かって共闘しているようにも映るが、果たしてそうなのか。選挙対策のためだけに、小沢オオカミが嘉田赤ずきんを上手に利用しようとしたのだとすれば、グリム童話に似たストーリーになりかねない。
昔もいまも、政界は食うか食われるか、生き残りをかけた争いの舞台であり、たえずオオカミと赤ずきんが入り乱れ、真贋の判定がむずかしい。ほとんどの政治家がオオカミと赤ずきんの両面性を持っているから、ややこしいのだ。しかし、よりオオカミ的なのはだれか、を見極めなければならないのである。
そこで『赤ずきん』のなかの〈通りかかった猟師〉のこと、私たち有権者である。十二月十六日の投票日は、オオカミの腹の中から赤ずきんたちを助け出す日なのだろう。嘉田さんは赤ずきんのように映っているが、必ずしもそうとは限らない。慎重に観察するのが有権者の義務だ。
嘉田さんだけではない。すべての政党、候補者について、赤ずきん型か、オオカミ型か、両者の折衷型か、という目で見たほうがいい。
<今週のひと言> NHK〈純と愛〉、少々静かにならないか。 (サンデー毎日2012年12月16日号)
これは分かりやすい例えだな。あ〜あ来週の今頃は清き1票を投じているんだ。夜の開票は面白そうだけど、投票は憂鬱だね。
モンティ伊首相が辞意、政権運営継続は「不可能」と
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