Quantcast
Channel: 小父さんから
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4329

「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子より (再掲)

$
0
0
 
 この10日間くらい、コミュニティセンターにある文庫の本のリスト作りを手伝っていた。そうしたら表題の「一度も植民地になったことがない日本」 デュラン・れい子 という文字に出会った。ん?どこかで聞いたような・・・と思って自分のブログを検索したら2007年11月09日に載せているではないか!そして本棚をみるとちゃんと講談社新書もあった。嬉しかったな~。

 ブログってこんなことにも役立つんだ。そしてとても面白い。いや、このような視点から歴史をみていくとわかりやすいね。デュラン・れい子さんのホームページはこちらですデュラン・れい子 Official HP

   

 第3章 日本は「世界の孤児」として生きよう

 日本の自然はヨーロッパや中東に比べて、とてもやさしい。やさしい自然からは、やさしく思いやりのある神様が生まれるのかもしれない。一方で、イスラム教もキリスト教も、砂漠の厳しい自然の中から生まれた一神教であり、このことを思えば、今のアメリカ対イラクの激しい攻防も、さりありなんと思えてくるから興味深い。

 プラハやウイーンなど中欧の人々が、よく「中欧の誇り」を口にするのと同様、私は誇りを持って日本のよさをヨーロッパの人たちに語りたい。フランスで会った流暢な英語を話すマレーシアの教授は、私が握手の手を差し出したのに、「私たちマレーシア人は、他人の体に触れることは宗教上しませんので」と言って合掌された。これが正しいのだ。

 ヨーロッパへ旅行する方も、ぜひ日本のことを進んで話していただきたい。自分の国を自慢するのは、ヨーロッパの人々にとって極めてあたりまえなのだから。

(なぜアラスカを買わなかったのか)
 結婚以来、我が旦那様は、日本について興味を持ちはじめ、彼なりの主張をはじめた。それは1970年後半、ちょうど日本のカメラや自動車がヨーロッパに流れ込みはじめたころのこと。まだまだヨーロッパの人々の日本に対する関心は低く、日本が今のような経済大国になるなど想像する人はいなかったと思う。

 彼の主張は、そのころから今日までガンとして変わっていない。
「日本は大きな失敗を2つしたと思うね。1つは220年もの長い間、鎖国をしたこと。もう1つは、アラスカを買わなかったことだよ」

 鎖国は私にも理解できたが、アラスカを買わなかった云々は初耳であった。「まさか!そんなこと日本ができたの?」「もちろん。だってアメリカがアラスカを買ったことはお前も知っているだろう?」

 そう言えば、学校時代に習ったなあ。では、そのときロシアは日本にも声をかけたのか。日本で聞いた覚えはまったくなかったので、帰国したときに、子供の頃からの恩師である大山先生にたずねると、「そういえば私が子供のころ、大人たちがそんなことを話していたなぁ」とのこと。先生のお年から数えると昭和の初めごろか?

 夫は考えこんで、ポツンと言う。「なぜあのとき、日本はアラスカを買わなかったんだろう?」「もちろん、遠かったせいよ。それに寒いし、お金がなかったのかもしれないし、資源があるとは考えなかったのかもしれないわ」

 私の答えは満足いくものではなかったらしい。しばらく考えるふうだった。「日本は小さな島で人口が多いのに、なぜ国のトップは広い土地を手に入れようと考えなかったのかね。まったく不思議だ」

 隣国ドイツから土地を買って国を造ってきたオランダの、港湾エンジニアである彼らしい意見だと私は納得する。

 私の夫はオーストラリアの首都ウィーンで生まれ、チェコの首都プラハで育ち、高校時代からスエーデンの首都ストックホルムへ移った。ロシアに苦しめられたチェコのことなどよく知っている。反ロシアの感情の強かったフィンランドでは、日露戦争でロシアをやっつけたとして人気のある東郷元帥の名をつけた「トーゴー・ビール」さえ売り出されたという。ロシアをよく思わない国々には、極東で力をつけてきた日本への期待があったのだろうか。

 外交史上の事実はなくても、こういう一種の噂が、それぞれの国々の一般の人々の希望や思惑や野望をからめて、中欧や北欧のフィンランドまで流れたと考えるのも面白い。

 鎖国について夫はこう意見を述べる。「220年の鎖国で日本は世界から取り残されたじゃないか。せっかくポルトガルやスペインの宣教師を迎えて世界を知りはじめたのに、なんて残念なことをしたんだろう」私は反対する。「でも鎖国があったから、日本独特の文化ができたのよ。芸術だけじゃなく数学だって和算というものができたし、決してヨーロッパに遅れていなかったわ。それは日本がほかの国の影響を受けないで220年やってきたからだと思う。鎖国があったから、今の日本があると思います。鎖国、サンセーィ!」     

(講談社新書より抜粋)

   

デュラン・れい子 (デュラン・れいこ、1942年 - )は、日本の女性作家、エッセイスト。東京生まれ。 文化学院美術科卒。グラフィック・デザイナーからコピーライターに転向。当時珍しかった女性コピーライターとして博報堂で活躍、受賞多数。
1976年、スウェーデン人と結婚。スウェーデン、オランダ、ブラジルに住む。
1977年、英国国際版画ビエンナーレでの銅賞受賞を機に、現代美術のアーチストとして活躍するかたわら、欧米の芸術家を日本へ紹介する仕事を開始。
2002年、ひとり南仏プロヴァンスに住み、本を書きはじめる。2007年の処女作『一度も植民地になったことがない日本』(講談社+α新書)が20万部を超えるベストセラーとなり、エッセイストとしてのデビューを果たす。65歳であった。
その後、前向きに活動を続け、2012年4月、第11作めを刊行。日本とフランスを行き来する生活をしていたが、現在は母親の介護のため、日本にいる時間が長くなっているという。~wiki

Viewing all articles
Browse latest Browse all 4329

Trending Articles