中越地震の避難生活から約3年2カ月ぶりに新潟県長岡市の故郷に戻り、「除夜の鐘」を打ち鳴らす住民ら。ふるさとの原風景だ=2007年12月31日、根本太一撮影
ふ~ん、テレビや流行の影でこんな現象が起きているとは全く聞いたこともなかった。紛れもない日本国内の話なんだね。売らんが為の週刊誌の記事でもない!いやはや、新聞はいろんなことを教えてくれるね。
毎日新聞 2016年12月27日 東京夕刊
せちがらい世の中だから……。そう嘆くしかないのか。除夜の鐘は「うるさい」、餅つきは「食中毒が心配」--として、年末年始の風物詩が今、自粛や中止を迫られている。「健康への配慮なら仕方ない」との声もある。だが、伝統や文化は廃れてしまわないか、懸念も消えない。【宇田川恵】
「日本人の心がここまでひねくれてしまったのかと思うと、あぜんとします。除夜の鐘は年1回。それすら我慢できないなんて、自分勝手すぎます」と憤るのは、エッセイストの安藤和津さん(68)だ。安藤さんは教育や食の問題に関心が高いが、最近の動向に我慢ならない様子。「餅つきで食中毒が怖いなら行かなければいい。主催者側も腰が引け過ぎです」
矛先を向けるのは、各地でじわじわ広がる除夜の鐘や餅つき大会取りやめの動きだ。餅つきは正月を控えた子供の楽しみ。新年の午前0時をはさみ、「ゴーン」と鳴り響く鐘の音には心が洗われる。なぜ、そんな行事をやめるのか。
静岡県牧之原市にある大澤寺(だいたくじ)の今井一光住職に聞いてみた。一昨年以降、大みそかの深夜からではなく、昼過ぎに打つ「除夕(じょせき)の鐘」を行っている。今井氏の亡父が住職だった十数年前、「うるさい」という苦情電話が3年連続でかかってきた。激しいクレームで、父は悩み、結局、鐘突きをやめた。しかし惜しむ声は多く、檀家(だんか)とも何度も話し合い、時間を変えて復活させたという。「一部のクレーマーに過ぎないと言う人もいるが、寺は住宅地にあり、我慢している人は他にいるかもしれない。伝統を振りかざすのではなく、機に応じて対応することが必要と考えました」と今井住職。特に都市部では鐘と住宅が接近してしまうケースがあり、当事者でなければ分からない「限度を超える被害」もあり得る。近隣に配慮し、除夜の鐘を自粛する寺は他の地域でも出ている。
一方、餅つき大会中止が広がっているのは今冬、ノロウイルスが大流行する兆しがあるのが大きな要因だ。感染力が強く、乳幼児や高齢者は重症化することもある。急きょ中止を決めたという千葉県木更津市の市郷土博物館の半沢隆副館長に事情を尋ねた。集団食中毒の恐れを心配し保健所に相談すると「できればやめてほしい」と言われたという。「市民の安全安心は何より優先すべきです」と苦しげに話す半沢氏。だが市民からは「毎年の行事なのに残念」との声が絶えないそうだ。
地域交流減り、信頼築けず
伝統行事を取りやめる理由はそれなりにある。しかし何百年も脈々と受け継がれてきたものが今、相次ぎ苦境に陥っているのは、現代に特有の背景もあるのだろうか。
伝統的な職人の技を生かし物づくりなどを行っている「和(あ)える」の代表、矢島里佳さん(28)に聞くと、「地域の交流が乏しいことが大きな原因ではないでしょうか。互いに顔を知る同士で餅つきをすれば、不安や疑いは持たないし、誰かを一方的に責めたりはしないはずです」。地域住民同士で信頼関係を築けていないことが、問題の根底にあるのではないか、というのだ。
餅つきは切り分けや味付けなどで餅に手を触れる工程が多い。ノロウイルスなどがはやっている最中に不特定多数の人が集まる場で行えば心配も大きくなる。万が一、体調を崩す人が出れば主催者の責任も問われかねない。だから自治体や商店街主催の大会は中止に傾きがちだ。もし信頼し合う仲間で行うなら、そう単純に中止したりしないだろうとの見方は多い。
京都造形芸術大教授で、映画評論などでも知られる元文部科学官僚、寺脇研さん(64)は「除夜の鐘がうるさいとか言うのは、若者でなく、50~60代以上の発想だと思いますね」と分析する。20世紀後半の高度経済成長期やバブル期には、地域の祭りをはじめ多くの伝統が消えた。経済性が最優先とされたためだ。「この世代は何もかも振り捨てて一生懸命働き、風雅なことには目もくれなかった。私だって20代の頃は、初詣や花火大会に行く余裕なんてなかったですよ」。そんな世代が今、経済的価値のないものを批判している可能性があると見る。
一方、伝統行事に詳しい食文化研究家、藤原浩さん(52)は「あまりにも伝統や文化の本来の意味を知らなすぎる」と言い切る。藤原さんによれば、新年に向けてつく餅は、神様へのお供えという神聖な存在。正月を過ぎ、餅を砕くことが「鏡開き」だが、砕いた餅を配ったのが「お年玉」の起源という。「そんな大切な意味があると知っていたら、簡単にやめられるでしょうか」。きねやうすは熱湯消毒し、参加者は十分手洗いするなど衛生管理を徹底し「伝統は継承してほしい」と話す。
実際、東京都町田市は「伝統行事がなくなるのは悲しい」としノロリスクを減らしながら餅つきを行う方法をホームページなどで公表。ついた餅と食べる餅を分ける工夫も示し、お汁粉など再加熱して食べるように勧める。
藤原さんは、本来の意味を知らないため、おかしな事態が生じていると強調する。日本人は古くから稲の神である「サの神様」を大切にしてきた。サの神は年に1度、春に山から里に降りてきて木に宿る。これが「サクラ」であり、桜の花が咲くことで農民たちは神の来訪を知り、願いごとをする。その儀式が花見の始まりだ。「ちゃんと継承されていれば、東日本大震災の時、全国で花見の自粛はなかったと思う」。沈みきった5年前の春は、なんとももの悲しかった。被災地の復興を願うなら、明るい花見で祈りをささげるべきだったかもしれない。
藤原さんは言う。「未来に向かうためには、どこから来たか知らねばならない。だから先人が伝えるものを知ることが必要なんです。餅つきなどの伝統行事は、それを教わる貴重な場だと思います」
伝統回帰の若者に期待?
日本の伝統や文化はこのまま消えてしまうことはないだろうか。危機感を持つ人は少なくない。安藤さんは「日本人には『お互い様』という美徳がありました。長年の伝統が失われたら日本人の心もなくなります。協調性を持ち、隣人を思いやる本来の日本人であり続けるには今が瀬戸際です」。矢島さんは「日本社会全体が忙し過ぎて、心のゆとりを失っているのではないでしょうか」と話す。
だが、寺脇さんの見方は前向きだ。「今の若い人には伝統や文化を大切にすることへの回帰が見られる」と言うのだ。現代の若者はバブル期のような豊かさを体験せず、車や海外旅行にお金を使ったかつての若者に比べて貧しい。しかし、男女ともわざわざ慣れない浴衣を着て花火大会に出掛けるなど、お金をかけず生活を楽しもうとする。仮装をしてはじけるハロウィーンが定着したのも同じ流れだという。「日本は経済成長一辺倒の中で、あらゆるものを切り捨て、それは今も続いている。だが、これは長い歴史の中のわずか数十年。長い目で見れば、若い人たちが立て直してくれると思う」と寺脇さん。
日本人はどこへ向かうのか。まずは一連の自粛問題をチャンスとし、この年末年始は伝統や文化を改めて見つめ直したい。
ふ~ん、テレビや流行の影でこんな現象が起きているとは全く聞いたこともなかった。紛れもない日本国内の話なんだね。売らんが為の週刊誌の記事でもない!いやはや、新聞はいろんなことを教えてくれるね。
毎日新聞 2016年12月27日 東京夕刊
せちがらい世の中だから……。そう嘆くしかないのか。除夜の鐘は「うるさい」、餅つきは「食中毒が心配」--として、年末年始の風物詩が今、自粛や中止を迫られている。「健康への配慮なら仕方ない」との声もある。だが、伝統や文化は廃れてしまわないか、懸念も消えない。【宇田川恵】
「日本人の心がここまでひねくれてしまったのかと思うと、あぜんとします。除夜の鐘は年1回。それすら我慢できないなんて、自分勝手すぎます」と憤るのは、エッセイストの安藤和津さん(68)だ。安藤さんは教育や食の問題に関心が高いが、最近の動向に我慢ならない様子。「餅つきで食中毒が怖いなら行かなければいい。主催者側も腰が引け過ぎです」
矛先を向けるのは、各地でじわじわ広がる除夜の鐘や餅つき大会取りやめの動きだ。餅つきは正月を控えた子供の楽しみ。新年の午前0時をはさみ、「ゴーン」と鳴り響く鐘の音には心が洗われる。なぜ、そんな行事をやめるのか。
静岡県牧之原市にある大澤寺(だいたくじ)の今井一光住職に聞いてみた。一昨年以降、大みそかの深夜からではなく、昼過ぎに打つ「除夕(じょせき)の鐘」を行っている。今井氏の亡父が住職だった十数年前、「うるさい」という苦情電話が3年連続でかかってきた。激しいクレームで、父は悩み、結局、鐘突きをやめた。しかし惜しむ声は多く、檀家(だんか)とも何度も話し合い、時間を変えて復活させたという。「一部のクレーマーに過ぎないと言う人もいるが、寺は住宅地にあり、我慢している人は他にいるかもしれない。伝統を振りかざすのではなく、機に応じて対応することが必要と考えました」と今井住職。特に都市部では鐘と住宅が接近してしまうケースがあり、当事者でなければ分からない「限度を超える被害」もあり得る。近隣に配慮し、除夜の鐘を自粛する寺は他の地域でも出ている。
一方、餅つき大会中止が広がっているのは今冬、ノロウイルスが大流行する兆しがあるのが大きな要因だ。感染力が強く、乳幼児や高齢者は重症化することもある。急きょ中止を決めたという千葉県木更津市の市郷土博物館の半沢隆副館長に事情を尋ねた。集団食中毒の恐れを心配し保健所に相談すると「できればやめてほしい」と言われたという。「市民の安全安心は何より優先すべきです」と苦しげに話す半沢氏。だが市民からは「毎年の行事なのに残念」との声が絶えないそうだ。
地域交流減り、信頼築けず
伝統行事を取りやめる理由はそれなりにある。しかし何百年も脈々と受け継がれてきたものが今、相次ぎ苦境に陥っているのは、現代に特有の背景もあるのだろうか。
伝統的な職人の技を生かし物づくりなどを行っている「和(あ)える」の代表、矢島里佳さん(28)に聞くと、「地域の交流が乏しいことが大きな原因ではないでしょうか。互いに顔を知る同士で餅つきをすれば、不安や疑いは持たないし、誰かを一方的に責めたりはしないはずです」。地域住民同士で信頼関係を築けていないことが、問題の根底にあるのではないか、というのだ。
餅つきは切り分けや味付けなどで餅に手を触れる工程が多い。ノロウイルスなどがはやっている最中に不特定多数の人が集まる場で行えば心配も大きくなる。万が一、体調を崩す人が出れば主催者の責任も問われかねない。だから自治体や商店街主催の大会は中止に傾きがちだ。もし信頼し合う仲間で行うなら、そう単純に中止したりしないだろうとの見方は多い。
京都造形芸術大教授で、映画評論などでも知られる元文部科学官僚、寺脇研さん(64)は「除夜の鐘がうるさいとか言うのは、若者でなく、50~60代以上の発想だと思いますね」と分析する。20世紀後半の高度経済成長期やバブル期には、地域の祭りをはじめ多くの伝統が消えた。経済性が最優先とされたためだ。「この世代は何もかも振り捨てて一生懸命働き、風雅なことには目もくれなかった。私だって20代の頃は、初詣や花火大会に行く余裕なんてなかったですよ」。そんな世代が今、経済的価値のないものを批判している可能性があると見る。
一方、伝統行事に詳しい食文化研究家、藤原浩さん(52)は「あまりにも伝統や文化の本来の意味を知らなすぎる」と言い切る。藤原さんによれば、新年に向けてつく餅は、神様へのお供えという神聖な存在。正月を過ぎ、餅を砕くことが「鏡開き」だが、砕いた餅を配ったのが「お年玉」の起源という。「そんな大切な意味があると知っていたら、簡単にやめられるでしょうか」。きねやうすは熱湯消毒し、参加者は十分手洗いするなど衛生管理を徹底し「伝統は継承してほしい」と話す。
実際、東京都町田市は「伝統行事がなくなるのは悲しい」としノロリスクを減らしながら餅つきを行う方法をホームページなどで公表。ついた餅と食べる餅を分ける工夫も示し、お汁粉など再加熱して食べるように勧める。
藤原さんは、本来の意味を知らないため、おかしな事態が生じていると強調する。日本人は古くから稲の神である「サの神様」を大切にしてきた。サの神は年に1度、春に山から里に降りてきて木に宿る。これが「サクラ」であり、桜の花が咲くことで農民たちは神の来訪を知り、願いごとをする。その儀式が花見の始まりだ。「ちゃんと継承されていれば、東日本大震災の時、全国で花見の自粛はなかったと思う」。沈みきった5年前の春は、なんとももの悲しかった。被災地の復興を願うなら、明るい花見で祈りをささげるべきだったかもしれない。
藤原さんは言う。「未来に向かうためには、どこから来たか知らねばならない。だから先人が伝えるものを知ることが必要なんです。餅つきなどの伝統行事は、それを教わる貴重な場だと思います」
伝統回帰の若者に期待?
日本の伝統や文化はこのまま消えてしまうことはないだろうか。危機感を持つ人は少なくない。安藤さんは「日本人には『お互い様』という美徳がありました。長年の伝統が失われたら日本人の心もなくなります。協調性を持ち、隣人を思いやる本来の日本人であり続けるには今が瀬戸際です」。矢島さんは「日本社会全体が忙し過ぎて、心のゆとりを失っているのではないでしょうか」と話す。
だが、寺脇さんの見方は前向きだ。「今の若い人には伝統や文化を大切にすることへの回帰が見られる」と言うのだ。現代の若者はバブル期のような豊かさを体験せず、車や海外旅行にお金を使ったかつての若者に比べて貧しい。しかし、男女ともわざわざ慣れない浴衣を着て花火大会に出掛けるなど、お金をかけず生活を楽しもうとする。仮装をしてはじけるハロウィーンが定着したのも同じ流れだという。「日本は経済成長一辺倒の中で、あらゆるものを切り捨て、それは今も続いている。だが、これは長い歴史の中のわずか数十年。長い目で見れば、若い人たちが立て直してくれると思う」と寺脇さん。
日本人はどこへ向かうのか。まずは一連の自粛問題をチャンスとし、この年末年始は伝統や文化を改めて見つめ直したい。