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余録 / 1991(平成3)年7月10日…「噴火の収まらぬ現地の避難所を訪れ、被災した住民の間に入って話を聞いた両陛下だった」

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写真はネット上からお借りした    
 
 昨日の天皇陛下のビデオメッセージ及び事前に準備されていたものかどうかNHK特集に見入っていた。象徴天皇がどうあるべきなのか自らずっと問い続けられたそのお姿と、言葉にして国民に向かって述べられた。

 被災地ほか戦没者の慰霊と追悼の旅の映像には小父さんも涙した。小父さんには沖縄、サイパン島、パラオ、フィリピンへの戦没者の慰霊と追悼は不戦の誓いに思えてならない。

 難しいこと(歴史や法手続き)は、分からないが、ご高齢の陛下には「生前退位」していただいた方がいいと思う。内閣でも企業経営者でも83歳に手が届く人にその役に留まることはないのだから。
 
   
毎日新聞 2016年8月9日
 1991(平成3)年7月10日、雲仙(うんぜん)・普賢岳(ふげんだけ)の火砕流の被災地を訪ねた天皇、皇后両陛下の姿を覚えておられる年配の方は少なくないだろう。まだ噴火の収まらぬ現地の避難所を訪れ、被災した住民の間に入って話を聞いた両陛下だった

 ▲話に聴き入るうちにやがて中腰となり、しゃがみこみ、床にひざをつけて被災者と向き合われた。年配の世代の印象に残ったというのは、当時は両陛下がひざをついて国民に接するのは異例だったからだ。それをごく自然な光景へと変えた両陛下の平成の歳月である

 ▲人々の苦しみや悲しみのあるところに身を運び、時にひざをついて心を通わせ、祈りを共にされた天皇陛下である。先の戦争の戦跡では戦没者の霊に平和を誓って深く頭を下げ、忘れてはならぬ歴史を国民に思い起こさせた。それにどれだけの力が注がれたのだろう

 ▲「全身全霊(ぜんしんぜんれい)」。象徴天皇としての務めを果たしてきたこれまでを、そう言い表した天皇陛下の「お気持ち」だった。そこには自ら探りあてた象徴天皇のあるべき姿への思いもうかがえる。その途切れることのない継承を願い、退位への強い意向をにじませたのである

 ▲今さら何だが象徴とは「説明しにくいものを具体的に示すこと」と辞書にある。説明の難しい象徴天皇という言葉に、人を思いやり、励まし、連帯を呼び起こす豊かな具体性を宿らせた陛下の28年であった。閉ざされた宮殿の物言わぬ天皇では象徴できぬものがある

 ▲両陛下がその身をもって作り上げた平成の象徴天皇像を次の時代へと受け渡せるか。投げかけられた問いに答えなければならないのは主権者である国民だ。

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