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高齢者大学 「金属のこころ」

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熊本城の清正公石垣や二つの天守閣や宇土櫓の話      
 2014年にスタートした青山誠一先生のこころシリーズは、木のこころにはじまり、木のこころ「塔」に進み、木のこころ「城」を経て石のこころまでお聞きしたが、昨日は「金属のこころ」がメインテーマだった。

 初めに熊本地震で大きな被害を受けた熊本城がいか頑丈な作りであったかの説明から入られた。復旧が何年かかるか分からないが清正神社入れるようなった報道があった。西南の役で明治維新政府軍の城が落ちずに西郷軍が引き上げてしまったほどの城の頑強さであった、などなど。

 下は講義の一部だがこのような歴史を振り返り、「金属のこころ」へいざなっていただいたら歴史へのロマンも広がってきた。

 畿内にはもちろん遺跡や出土品も多いが、一番下の島根県の二つの遺跡から山のような銅文化が出てくるということは考古学をされる方にはとても大きな魅力であろう。 

   

「木・石・土」から「金属」へ
 
旧石器時代には採集・狩り・漁の生活は石(砕く、包丁)や土(縄文土器)などで成り立っていた。やがて農耕生活をはじめたが、大陸から青銅器や鉄が伝わる。おそらく地面でものを燃やすとその下の溶けたものが出て来た。それが鉄や銅であったのが人類との出逢いと想像される。

大陸から伝来により、日本にもこれらはあるのではないかと工夫され銅鐸や銅剣も作られようになる。弥生時代でのこと。
紀元1年 百余の小国、紀元57年 倭奴国王(わのなのこくおう)は、後漢の光武帝より「金印」を受ける。

古墳時代には渡来人が機織(はたおり)・鉄器づくりの技術、漢字なども伝える。

538年 仏教伝来、607年 法隆寺建立、645年 大化の改新、710年 平城京、
730年頃 国を守る力としての仏教が強く信仰される
743年 大仏建立の詔(みことのり)、752年大仏開眼供養会

  

   
大仏の作り方~東京情報大学 歴史の方法 第8回 環境から見る日本の歴史から 

      

荒神谷遺跡(島根県出雲市) 1983年 銅剣 358本、銅矛 16本、銅鐸 6個 出土
加茂岩倉遺跡 (島根県雲南市)1996年 銅鐸 39個出土

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