藤原正彦さんは、気象学者であり高倉健の映画『八甲田山』の原作『八甲田山死の彷徨』を著した小説家・新田次郎さんの次男だそうだ。
藤原正彦さんの『国家の品格』に出会った時はいっぺんにファンになってあと何冊か読んだが、最近は週刊新潮に2ページ割かれた写真コラムにあるウイットに富んだ文をを病院で薬をもらう待ち時間に読むのがとても楽しみだ。何日か前に週刊新潮をめくった後、本屋に他の用で立ち寄ったのだが、探し物がないので藤原正彦氏の本はないかな?と本棚を見ていたらこの週刊新潮のコラム集の文庫本があるではないか、並んでいる2冊を買って家に戻った。この方は数学者なんだが、ほんと小説家みたいな文章を書かれる。下に『大いなる暗愚』からちょっとだけ転載させてもらった。下は冗談の塊みたいだが、歴史や政治に経済などもご自分の経験談と合わせて幅広く書かれている。
※暗愚・・・道理に暗くおろかなこと。また、おろか者。
※週刊新潮のタイトルは ー 『管見妄語』・・・管見とは、「狭い見識。視野の狭い考え方。」のことで、妄語 とは、「うそをつくこと。不実な言葉。」のこと。
自分の顔
自分の顔だけは、何十年つき合っても好きになれない。繊細で品のよい指とか、足軽の血を引くたくましい脚など、気に入った部分もあるのに顔だけはだめだ。床屋でじっと鏡を見ていると次第に気が滅入ってくる。
公にすべきものではないと長いあいだ思っていた。そう思っていたのは私ばかりではない。処女作の『若き数学者のアメリカ』が出た時、私の顔は新聞広告などにのらなかった。同時期に同じ新潮社から本を出した沢木耕太郎さんや五木寛之さんの写真は常にのっていた。新潮社も私と同じ考え方を持っていたのである。。
沢木さんと五木さんの写真はいつも「陰影のある男」と言った雰囲気で、左四十五度から撮ったものが多かった。もしかして私だって、と鏡の前で顔を右に傾け、左四十五度を観察してみたが、後頭部の絶壁が目立つだけだった。
ふと石原裕次郎や赤木圭一郎を思い出した。ブロマイド写真で見る彼等はいつも眉間に縦皺をよせ、どこかまぶしそうな表情をしている。早速、女房の前で眉間に縦皺を寄せまぶしそうに目を細め、「どうだニヒルに見えるか」と聞いたら「ニヒルというより不機嫌なアヒル」と言われた。
(後略 二〇〇九年七月九日号)