写真は 御巣鷹山慰霊登山2011 かぷかの日記からお借りした
涙がこぼれた。文藝春秋9月号には奇跡の生存者・川上慶子さんの兄川上千春さんの手記が11ページにわたり掲載されている。あの日航機123便には父(当時41)、母(39)、そして慶子さん(12)と咲子さん(7)が乗っておられたという。兄の千春さんは、中2で家族そろっての北海道旅行だったが、野球部活のため行かないといったそうな・・・。この不幸が襲った後、兄、妹の間で両親や妹と過ごした時のことを語りあったことはないという。でも兄・妹とも現在は3人の子供さんがおられる。
慶子さんが初めて御巣鷹山に登ったのは事故から2年経っての10月だそうだが、同行した報道陣の方にお参りする気持ちが感じられれば別だが、慶子さんの写真だけたくさん撮って帰っていくことに、兄の千春さんも強い抵抗感を覚えられたそうだ。本当は家族だけで静かにお参りしたかったと。
この30年がお二人にとってどんなにもいばらの道であったことか、手記の中に、千春さんが高校時代に書いた詩「ぼくの宝石」と、今夏にしたためられた「三人へ向けた手紙」が特に私の感情をこみ上げさせた。後者の手紙を下に掲載させていただきます。
涙がこぼれた。文藝春秋9月号には奇跡の生存者・川上慶子さんの兄川上千春さんの手記が11ページにわたり掲載されている。あの日航機123便には父(当時41)、母(39)、そして慶子さん(12)と咲子さん(7)が乗っておられたという。兄の千春さんは、中2で家族そろっての北海道旅行だったが、野球部活のため行かないといったそうな・・・。この不幸が襲った後、兄、妹の間で両親や妹と過ごした時のことを語りあったことはないという。でも兄・妹とも現在は3人の子供さんがおられる。
慶子さんが初めて御巣鷹山に登ったのは事故から2年経っての10月だそうだが、同行した報道陣の方にお参りする気持ちが感じられれば別だが、慶子さんの写真だけたくさん撮って帰っていくことに、兄の千春さんも強い抵抗感を覚えられたそうだ。本当は家族だけで静かにお参りしたかったと。
この30年がお二人にとってどんなにもいばらの道であったことか、手記の中に、千春さんが高校時代に書いた詩「ぼくの宝石」と、今夏にしたためられた「三人へ向けた手紙」が特に私の感情をこみ上げさせた。後者の手紙を下に掲載させていただきます。