毎日新聞 2015年02月08日 00時03分(最終更新 02月08日 00時04分)
1945年8月15日、明石康(あかし・やすし)氏は旧制中学3年生だった。郷里の秋田県でひもじい思いをしながらクワをかついで勤労奉仕の日々を送っていた。玉音放送を聞き、戦争が終わったことだけはわかった。深い虚脱感に襲われたという
▲何よりも一夜にして鬼畜米英から平和主義に変身した大人に不信感を抱いた。一方で、占領下の民主主義の進展に希望もわいた。米に留学、日本人初の国連職員となり、事務次長にまで進み、カンボジアや旧ユーゴスラビアなど国際紛争調停に大きな役割を果たすことになる
▲以来世界の平和と戦争を見てきた明石氏ならではの戦後70年論を聞く機会があった。「単なる戦後ではない。悲惨極まる第二次世界大戦に敗北して70年、敗戦後70年であることを肝に銘じるべきだ」が基本スタンスだった
▲戦後の日本の復興、高度成長の背景には、50年代の朝鮮戦争と60年代のベトナム戦争による特需があった。それが結果的に米国の欧州への復興援助計画(マーシャル・プラン)と同じ効果を生んだ、との認識を示し、今後の日本の生き方について二つ提唱した
▲一つは、国連平和維持活動(PKO)を通じ、祈るだけの平和ではなく、創る平和に参加すべきだということ。もう一つは、歴史認識だった。日本が戦前の拡張政策で、他国に与えた辛苦は言語に絶するとして、95年の村山談話を基盤に、中韓両国だけでなく米国も説得できる文言を発信すべきだ、と
▲旧連合国全体を敵に回す愚を犯すべきではない、との趣旨だ。未来を語るのもいいが、まずは敗戦という悲劇の原点に立つ。戦後70年談話に必須の論点ではなかろうか。
小父さんも♪戦争を知らない子供たち世代だが、今の内閣はもっともっと若い!この明石康氏や第8代国連難民高等弁務官も務められた緒方貞子氏の生き方には大いに学んでもらいたい。国際情勢は理想や理念だけで判断できるものではないとこのお二方は言っておられるように思う。
このような優秀な人材を生む日本は素晴らしいと思う。百田尚樹氏による日本の小説や映画『永遠の0』 などに酔っていないで、若い人は特に昭和の戦争の歴史を知る必要があるだろう。