NHK負けて勝つ 〜戦後を創った男・吉田茂〜から
毎日新聞 2013年12月07日 東京朝刊
三木武吉と大野伴睦は、戦後政治史の画期となった保守合同(1955年)を権謀の限りを尽くし、仕上げた大立者だったが、愛人の数も両者すご腕で激しく競った。逸話が多すぎて真相がはっきりしないが、私が耳にした次の話が割合近いと思われる。
大野が没した(64年、73歳)翌年、都心のホテルで一周忌が催され、愛人12人と筆頭に若い女性が1人。計13人が壇上に居並び、壮観だったという。人数競争もそのあたりとされたらしい。
元愛人と呼ばなかったのは、生涯生活の面倒をみる手当てをしていたからで、12人の1人が産んだ女性は国会地下で喫茶店をやっているといわれた。
現場も映像も見たわけではないが、私が政治記者の仲間入り(66年)する直前のことだから、半世紀前の保守政界の実相が垣間見える。
もう一人、三木、大野と並ぶ実力者、河野一郎がいた。河野にも芸者出身の愛人がいたが、三木、大野たちの<囲いもの>だけではない。
与えた料亭を拠点の一つに、河野は政界ににらみを利かせた。取り巻きもそこで会食をすることが多く、オカミは面倒をよくみて、強力な伴侶的支えだった。河野が急死(65年、67歳)した時、直参(じきさん)の山中貞則らは焼き場で骨をかき集め、オカミの寺に分納するのに辛苦したという。
ある時期まで善きにつけ、あしきにつけ、そうした女性パワーを巧みに取り込んだ日本型政界構図が完成しかけていたのである。それがあっけなく崩壊したのが、<宇野宗佑首相失脚事件>(89年8月)だった。
事件の起きる前、毎日新聞の平岡敏男社長は
「一流紙はヘソから下のことは書くな」
と厳命を下していた。新聞の品位であり、秩序維持への体制的対応だったかもしれない。私は平岡のもとで秘書室長を務めたからよく知っている。
ところが、ある日、スター記者の一人が間接情報をもとに、女性問題をどうしても書くと言ってきかない。社長は直ちに辞表の提出を求め、受理された。それに触発されたのかどうか、宇野事件が突発する。
こともあろうに、「サンデー毎日」に現職首相・宇野と懇ろな神楽坂芸者が告発したのだから、前代未聞の大衝撃だった。仲介した毎日記者によると、
「寝物語では、金丸信(当時のキングメーカー)のことをあんなにボロクソ言っていたのに、いざ、自分(宇野)が担がれそうになると、手のひらを返したように褒めそやす。そんな人を総理にしてもいいの」
というのが、訴える気になったきっかけ、と言ったという。怪しいものだ、と私は思っていたが、案の定、金の不満が出てきた。「サンデー」の鳥越俊太郎編集長が編集首脳会議に呼ばれ、もちろん中止を求められたが、
「すでに輪転機が回っている」
と抗弁した。大きな転機だった。
鳥越はまもなく社を去り、政界には女性ビクビク症候群が蔓延(まんえん)し、女性告発ばやりという奇妙な風潮が加速したのだ。
前回の当コラムで、政治家と政治記者の長い間柄について書いた。似た意味で女性を取り上げたのは、外側からの記者、内側からの女性のアプローチがいかに日本の政治文化の育成に大切かと思うからで、いずれも十分に機能していない。
犠牲者が数多く出た。最大のダメージを受けたのは首相候補の一人、山崎拓で「週刊文春」の決定的写真が致命傷になった。
私は山崎に、
「犯罪ではないのだから、事実はその通り認めて、プライバシーの侵害(民事訴訟)で争うべきだ。このままでは犠牲者があとを絶たない。勝訴のケースもある」
と勧めたことがあるが、山崎は苦笑いしていた。昔、作家、三島由紀夫のモデル小説「宴のあと」を巡り、有田八郎(元外相)と初のプライバシー訴訟になって、有田が勝っている。
さて、戦後の68年、日本の政治はたくましく育ったのか。67年、第1世代の第1走者、吉田茂が89歳で大往生を遂げ、日本武道館から国葬で送り出された。2003年、晩年の吉田に連れ添った元芸者・こりん(本名・坂本喜代子)が神奈川県大磯町の留守宅の一角でひっそり息を引き取っている。96歳というがはっきりしない。
内外風波のしぶきをかぶりながらも、躍動と静寂のなかで、日本は独自の政治的な時をつないできたと思っていた。<宇野政変>のような醜聞で中断されるとは予想だにしなかったのだ。油断である。(敬称略)
◇
近聞遠見は岩見氏の病気治療のため、今回をもって当面休載します。週刊「サンデー毎日」のコラム「サンデー時評」は継続します。ご愛読ください。
==============
岩見隆夫ホームページ http://mainichi.jp/opinion/column/iwami/
英雄色を好むって古今東西同じだね。でも大野伴睦さん、13人のお妾さんを生涯生活の面倒をみる手当てをしていたからって政治家ってやっぱりお金が集まっていたんだね。いやはや、大政治家を育てたのも女なら、権力の座から引きずりおろしたのもご婦人なのか!
政治って国会やニュースだけを見聴きしていただけでは分からないということか。新聞記者も知っていることをすべて新聞には書きはしないんだ。阿吽の呼吸なんだろう。
上のコラムは昔の武勇伝みたいだが、果たして現在はどうなんだろう?安倍晋三さん、鳩山由紀夫さん、菅直人さんあたりはお妾さんはいない気がするが・・・(笑)。
毎日新聞 2013年12月07日 東京朝刊
三木武吉と大野伴睦は、戦後政治史の画期となった保守合同(1955年)を権謀の限りを尽くし、仕上げた大立者だったが、愛人の数も両者すご腕で激しく競った。逸話が多すぎて真相がはっきりしないが、私が耳にした次の話が割合近いと思われる。
大野が没した(64年、73歳)翌年、都心のホテルで一周忌が催され、愛人12人と筆頭に若い女性が1人。計13人が壇上に居並び、壮観だったという。人数競争もそのあたりとされたらしい。
元愛人と呼ばなかったのは、生涯生活の面倒をみる手当てをしていたからで、12人の1人が産んだ女性は国会地下で喫茶店をやっているといわれた。
現場も映像も見たわけではないが、私が政治記者の仲間入り(66年)する直前のことだから、半世紀前の保守政界の実相が垣間見える。
もう一人、三木、大野と並ぶ実力者、河野一郎がいた。河野にも芸者出身の愛人がいたが、三木、大野たちの<囲いもの>だけではない。
与えた料亭を拠点の一つに、河野は政界ににらみを利かせた。取り巻きもそこで会食をすることが多く、オカミは面倒をよくみて、強力な伴侶的支えだった。河野が急死(65年、67歳)した時、直参(じきさん)の山中貞則らは焼き場で骨をかき集め、オカミの寺に分納するのに辛苦したという。
ある時期まで善きにつけ、あしきにつけ、そうした女性パワーを巧みに取り込んだ日本型政界構図が完成しかけていたのである。それがあっけなく崩壊したのが、<宇野宗佑首相失脚事件>(89年8月)だった。
事件の起きる前、毎日新聞の平岡敏男社長は
「一流紙はヘソから下のことは書くな」
と厳命を下していた。新聞の品位であり、秩序維持への体制的対応だったかもしれない。私は平岡のもとで秘書室長を務めたからよく知っている。
ところが、ある日、スター記者の一人が間接情報をもとに、女性問題をどうしても書くと言ってきかない。社長は直ちに辞表の提出を求め、受理された。それに触発されたのかどうか、宇野事件が突発する。
こともあろうに、「サンデー毎日」に現職首相・宇野と懇ろな神楽坂芸者が告発したのだから、前代未聞の大衝撃だった。仲介した毎日記者によると、
「寝物語では、金丸信(当時のキングメーカー)のことをあんなにボロクソ言っていたのに、いざ、自分(宇野)が担がれそうになると、手のひらを返したように褒めそやす。そんな人を総理にしてもいいの」
というのが、訴える気になったきっかけ、と言ったという。怪しいものだ、と私は思っていたが、案の定、金の不満が出てきた。「サンデー」の鳥越俊太郎編集長が編集首脳会議に呼ばれ、もちろん中止を求められたが、
「すでに輪転機が回っている」
と抗弁した。大きな転機だった。
鳥越はまもなく社を去り、政界には女性ビクビク症候群が蔓延(まんえん)し、女性告発ばやりという奇妙な風潮が加速したのだ。
前回の当コラムで、政治家と政治記者の長い間柄について書いた。似た意味で女性を取り上げたのは、外側からの記者、内側からの女性のアプローチがいかに日本の政治文化の育成に大切かと思うからで、いずれも十分に機能していない。
犠牲者が数多く出た。最大のダメージを受けたのは首相候補の一人、山崎拓で「週刊文春」の決定的写真が致命傷になった。
私は山崎に、
「犯罪ではないのだから、事実はその通り認めて、プライバシーの侵害(民事訴訟)で争うべきだ。このままでは犠牲者があとを絶たない。勝訴のケースもある」
と勧めたことがあるが、山崎は苦笑いしていた。昔、作家、三島由紀夫のモデル小説「宴のあと」を巡り、有田八郎(元外相)と初のプライバシー訴訟になって、有田が勝っている。
さて、戦後の68年、日本の政治はたくましく育ったのか。67年、第1世代の第1走者、吉田茂が89歳で大往生を遂げ、日本武道館から国葬で送り出された。2003年、晩年の吉田に連れ添った元芸者・こりん(本名・坂本喜代子)が神奈川県大磯町の留守宅の一角でひっそり息を引き取っている。96歳というがはっきりしない。
内外風波のしぶきをかぶりながらも、躍動と静寂のなかで、日本は独自の政治的な時をつないできたと思っていた。<宇野政変>のような醜聞で中断されるとは予想だにしなかったのだ。油断である。(敬称略)
◇
近聞遠見は岩見氏の病気治療のため、今回をもって当面休載します。週刊「サンデー毎日」のコラム「サンデー時評」は継続します。ご愛読ください。
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岩見隆夫ホームページ http://mainichi.jp/opinion/column/iwami/
英雄色を好むって古今東西同じだね。でも大野伴睦さん、13人のお妾さんを生涯生活の面倒をみる手当てをしていたからって政治家ってやっぱりお金が集まっていたんだね。いやはや、大政治家を育てたのも女なら、権力の座から引きずりおろしたのもご婦人なのか!
政治って国会やニュースだけを見聴きしていただけでは分からないということか。新聞記者も知っていることをすべて新聞には書きはしないんだ。阿吽の呼吸なんだろう。
上のコラムは昔の武勇伝みたいだが、果たして現在はどうなんだろう?安倍晋三さん、鳩山由紀夫さん、菅直人さんあたりはお妾さんはいない気がするが・・・(笑)。