1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生した。
近畿圏の広域が大きな被害を受けた。特に震源に近い神戸市の市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランド)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、近代都市での災害として日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては東日本大震災に次ぐ被害規模であった。戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。~ウイキペディアから抜粋
上記の写真は、すべて毎日新聞特別縮刷版の表紙と裏表紙から
阪神電車が横転、民家にも火災が発生阪神電鉄
住吉駅付近=17日午前8時40分、本社ヘリから
1月17日午後2時半 一面焼け野原になった住宅街を、
ぼう然としながら見入る付近の住民=神戸市長田区
あれから28年経ったんだ。明石市に住んでいるので寝床で大揺れを感じて、食器棚の器が多少壊れ、水道が数日間止まったくらいだったが47歳の私はまだどんなことが起こったのかも知らずに、神戸市北区の仕事場に飛び出して行った。どうも近隣のお父さん方は皆家に居て、水汲み等をやっていたのを見た小学生だった息子が「お父さんは何で仕事に行ったん?」と家内に言ったそうだ。後日、上司の両親は被災して亡くなられ、骨壺二つを抱えて数日間、車で親族の家を渡り歩いていたと聞いた。
地震学者が全く予想もしなかった自然災害、これは日本中どこに住んでいても起こりうるんだなと感じた。神戸の街は新しくなったが、家族を亡くされた方々はずっとこの日のことを引きずっていかれることだろう。