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還暦ケンちゃん / 毎日新聞  東京夕刊(有料記事)

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子役時代の宮脇健さん=本人提供 

  

特集ワイド 還暦記者・鈴木琢磨の、ああコロナブルー 人生、七転び八起き 還暦ケンちゃん、万感のエール

毎日新聞 2021/6/15 東京夕刊 有料記事
 ケンちゃんこと、宮脇健さんから涙と笑いの人生ドラマを聞いたのは西武新宿線上石神井駅(東京都練馬区)南口そばの飲み屋街だった。かれこれ10年ほど前になるが、いまも昭和の香りがぷんぷん漂う路地裏を歩くたび、彼を思い出す。そう、わが同世代にはおなじみ、人気テレビドラマ、ケンちゃんシリーズの元天才子役である。このコロナ禍、どうしているか、久しぶりに電話したら、元気そうな声で「6月13日で60歳になるんです。還暦ですよ」。とうに還暦を過ぎた私が言うのもおかしいが、ええーっ!と驚いた。

「ここ上石神井は僕のどん底時代を知っているんです」と、赤いちゃんちゃんこ姿の宮脇健さん=東京都練馬区で、鈴木琢磨撮影

 少しも偉ぶらない。おまけにフットワークが軽い。くだんの飲み屋街、通称「わいわい中通り」にある沖縄居酒屋「な~ちゃん」で再会した。見れば、赤いちゃんちゃんこを羽織り、赤いずきんをかぶっている。「アハハ、ドン・キホーテで買ってきちゃった」。童顔のせいもあってか、還暦ケンちゃん、どうもぴんとこない。緊急事態宣言が再延長され、酒類の提供もダメとなれば、通りはわいわいどころではない。ここも名物ソーキそばのランチでしのいでいるらしい。「芸能界もすごく厳しくて。予定していた映画の製作がストップしました。でも、なんとか歯を食いしばっていますよ。上石神井は僕のどん底を知っているまち、悲しさを知っているまち、負けるものかと、気持ちを奮い立たせられます」

 1969年の「ジャンケンケンちゃん」から「ケーキ屋ケンちゃん」「おもちゃ屋ケンちゃん」……。8年にわたって出演したシリーズ(TBS系)は高度経済成長で失われゆく理想の家族の物語だった。働き者のお父さん、優しいお母さん、頼りがいのあるおじいちゃん、そして愛くるしいケンちゃんはお茶の間の人気者になり、番組は25%前後の視聴率を稼いだ。そんなお化け番組のスターも賞味期限がくる。「20歳になると、ぴたっと仕事がなくなった。ツテを頼って、大阪のディスコで働いたり、芸人さんの運転手になったり。それこそ生きていくために何だってやりましたね。昼間はガスの検針、それが終われば別の居酒屋で皿洗いのバイトをこなして、ここで真夜中までお運びをしていました。まだ屋台スタイルだったころです」

 酒にまつわるエピソードがある。小学3年生のとき、同じ撮影所で「太陽にほえろ!」を収録していた石原裕次郎さんに呼ばれた。「ケン坊、おじちゃんのキャンピングカーにあるのは泡の出るジュースだよ」。口をつけたのがビール初体験だったそう。かくも年季の入った飲んべえ、泡盛で乾杯もできず残念ですねと水を向けたら、浮かぬ顔。「糖尿病で……。4、5軒ハシゴしていた僕がほとんど飲まなくなりました」。タレント活動は開店休業中だが、へこたれない。スーパーで駐車場の交通誘導をやったりもした。「マスクがありがたくて。顔バレしないでしょ」。最近、家賃の高い都心のマンションから下町に引っ越した。「妻がとんかつ屋で働いてくれているんです」

 そうこうしているうち、ケンちゃんの顔がほころぶ。ここでバイトをしていたころから母のように慕う玉城初子さん(74)がやってきたのだ。長らく「タニやん」の屋号でこの居酒屋を切り盛りしていたが、古希を機に引き継いだ。「ケンちゃん、還暦ってホント? いまもまた苦労しているみたいだけど、働き者だから大丈夫さ」。1回目のワクチン接種を受けてきたばかりのママ、心配するのは自身よりふるさと沖縄のこと。「メインストリートの国際通り、夜は真っ暗なんだって。離島の医療態勢も心もとないし」。那覇に6年暮らしたケンちゃんも気がかりでならない。「なじみだったすし屋のご主人もメールで大変さ、と悲鳴をあげています」

沖縄居酒屋「な~ちゃん」で母と慕う玉城初子さん(右)と思い出を語りあう宮脇健さん=東京都練馬区で、鈴木琢磨撮影
 ここは沖縄出身者が集う望郷酒場である。関西人の私には東京も異郷なら、東京にあるリトル沖縄も異郷だが、不思議なくらい居心地がいい。袖すり合うも多生の縁、まあ、一緒に飲もうという感じがうれしい。カウンターで盛りあがった祭り好きたちが「上石神井琉球エイサー会」を結成して20年余、各地の祭りなどで演舞を披露するだけでなく、秋にはこの通りをエイサーの太鼓と踊りでにぎやかに彩ってもきた。モットーは「熱血&いちゃりばちょーでー(一度、会えばみな兄弟)」。ママに誘われ、のぞいたことがあるが、その迫力に圧倒され、きずながうらやましかった。残念ながら、この故郷を思うささやかなイベントもコロナで2年続けて中止になりそうだという。

 さて、沖縄でレギュラーのラジオ番組を週4本持っていたケンちゃん、還暦をきっかけに新たな発信をしだした。ユーチューブだ。その名も「ケンちゃんチャンネル」。「昔は大型中継車がないとできなかったのが、スマホで動画を配信できるなんてびっくりですよ。大御所、小林旭さんまでやっておられると耳にし、これはやらなきゃ時代遅れになるかなって。この6月にスタートしたばかりですが、かつてケンちゃんシリーズを見てくださっていた60代の方からの反響がよくてね。先の見通せない時代、あきらめないで、明日はきっとよくなる、同じ空気を吸って生きてきた仲間として僕なりのエールが送れたらうれしいんです。そして、大好きな沖縄のことを語りたいんです」

 それにしても、だ。世間知らずのお人よし。あっちでだまされ、こちでだまされ、怪しげな商売に手を出したことも、億単位の借金を背負い込んだこともある。なのに「天国と地獄を味わった」とこともなげに言ってのけるずぶとさ。「あまりしゃべったことないけど……」。ひと呼吸おき、しみじみ語るのである。「堀越学園の同級生に能楽師の観世清顕君という親友がいました。将来を嘱望されていた彼は25歳で他界してしまう。ジャンルは違えど、同じ芸の道、その無念たるや、いかばかりだったか。月命日に欠かさず墓参りをしてきました。うまいものを食っても観世に食わせたいなとつい思う。観世のぶんも生きなきゃな、それが僕の一番の支えだったかもしれません」

 うっすら涙を浮かべ、スマホにしまっていた写真を見せてくれた。春夏秋冬、墓を背に自撮りしている。そこには幼くして芸能界デビューし、ちやほやされ、有頂天になった宮脇健はいない。「僕、心臓もよくないんです。いろいろ基礎疾患があるのでコロナはやばくて。そう簡単に死ぬわけにいかないですから」。夢が? 「ええ。もっと映画をやりたい。2018年公開の沖縄を舞台にした『ギフテッド』(出馬康成監督)に出ましたが、来年から新作に取りかかる準備をしています。そしていつの日か、家族そろって見られる令和のケンちゃんシリーズができたらいいんですがね」

 自伝「ケンちゃんの101回信じてよかった」(講談社)の帯文を劇作家のつかこうへいさんが寄せている。<人間は生まれてきただけでも充分立派なんです……>。人生、七転び八起き、コロナ禍でも変わらないケンちゃんに会えてよかった。=随時掲載
  
 ケンちゃん頑張っているんだね!私はスターなんて顔がいい、演技が上手い、歌がいくら素晴らしくっても、宝くじに当たったようなチャンスに巡りあわない限り成れるものじゃないと思っている。ことに子役で頂点に登ったら、その落差は想像もつかいないくらい落胆すると思う。でも、こうやって下積みをしている姿を語ってくれたら、ことに芸能界を目指す若者にはいいお話だと思うのだが、若者は成功体験の方にしか目がいかないのかな?ケンちゃんを応援したいね。と言っても、小生の甥や義弟の1歳下なのだが・・・。宮脇健さんは、悟っているように感じた。

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