4月23日の新聞に28枚の号外が掲載された。平成の時代、毎日新聞の東京本社分だけで数百本の号外が発行されんだとか。28枚のすべてを投稿できていないが、我々を幸せにしてくれる号外の少ないこと。
題字だけで拾っていっても、忘れていたことが多いのに気づいた。こうやってブログに残すことができるだけでも有り難いことだ。新しい時代が「幸多かれ」と祈っておこう。国と国のいさかいや人間同士のもめごとは絶えることはないにしても、せめて自然災害だけは人の力で極力小さくならないものかと思うね。平成よさようなら!
同時代の証言者として 主筆・小松浩(抜粋)
毎日新聞 2019年4月23日 東京朝刊
ご覧の紙面を埋める28枚の号外は、平成の年代記である。国民的なお祝いごともたくさんあった。その一方、災害や事件・事故、戦争やテロで、日本でも世界でも、おびただしい命が理不尽に奪われていった。
2万人を超す死者・行方不明者を出した、2011年3月11日の東日本大震災。釜石通信部にいた鬼山親芳記者は、自らも被災し、多くの知人・友人の遺体を目にしながら、被災者の思いを書き続けた。そしてその年の暮れ、岩手県版のコラムで静かな憤りをぶつける。「『3・11(サンテンイチイチ)』。遺族、被災者への想像力にこれだけ欠ける物言いはない」
歴史とはつまるところ、「ひとりひとりの無名の人間」の喜怒哀楽が一滴一滴、大河の流れとなり、つくられていくものなのだろう。歴史をただの記号にして、平成を「改革と挫折の時代」「失われた30年」などとくくってみても、本当の歴史を書いたことにはなるまい。
号外になるニュースにも、新聞の片隅の記事にも、かけがえのない生と死がある。競争と格差が人の絆を断ち切ってしまわないよう、私たちは、鳥の目で時代を俯瞰(ふかん)するだけでなく、虫の目になって、その一つ一つの物語をみつめていきたい。新聞が同時代の証言者になるとは、そういうことだと思う。