明石シニアカレッジ「ふれあい漫歩」グループの皆さんによる出前講座
今日は小父さんの住んでいる近辺を通り抜けた西国街道にまつわる話だったが、驚くほどたくさんの歴史が詰まっていることを学んだ。
左は平安時代中期の歌人和泉式部の娘・小式部内侍(こしきぶ の ないし)の供養塔。藤原公成の子を出産した際に20代で死去。
右は「遍照寺」・・・法隆寺の領地が播磨国に3ヶ所あって、加古川の鶴林寺と揖保郡太子町の斑鳩寺とこの遍照寺がそれにあたり地元の「太子さん」と親しまれているそうだ。
こんな感じで後19項目のパワーポイントを通しての講義だった。項目だけを列記すると、寺山古墳、西国街道について、長坂寺遺跡、金ヶ崎・めがね屋(旅籠)、正覚寺、太山寺道分岐点道標、金ケ崎神社、宗賢神社、鳥ヶ谷温泉跡、法恩寺跡、西光寺、光触寺、安藤家洋館、大久保隧道、大久保本陣跡、常徳寺、住吉神社と松平信之供養塔、大林寺。
付近にこれだけの歴史があるのなら「ぶらり歩こう会」のコース選定にも使えそうだ!
どうもこの一帯は織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐の三木合戦の戦場にもなったらしくって「もし」この戦いがなかったらこの地は奈良、京都並みに栄えたのではなかったかと冗談交じりに講師が話されていた。
今日は小父さんの住んでいる近辺を通り抜けた西国街道にまつわる話だったが、驚くほどたくさんの歴史が詰まっていることを学んだ。
左は平安時代中期の歌人和泉式部の娘・小式部内侍(こしきぶ の ないし)の供養塔。藤原公成の子を出産した際に20代で死去。
右は「遍照寺」・・・法隆寺の領地が播磨国に3ヶ所あって、加古川の鶴林寺と揖保郡太子町の斑鳩寺とこの遍照寺がそれにあたり地元の「太子さん」と親しまれているそうだ。
こんな感じで後19項目のパワーポイントを通しての講義だった。項目だけを列記すると、寺山古墳、西国街道について、長坂寺遺跡、金ヶ崎・めがね屋(旅籠)、正覚寺、太山寺道分岐点道標、金ケ崎神社、宗賢神社、鳥ヶ谷温泉跡、法恩寺跡、西光寺、光触寺、安藤家洋館、大久保隧道、大久保本陣跡、常徳寺、住吉神社と松平信之供養塔、大林寺。
付近にこれだけの歴史があるのなら「ぶらり歩こう会」のコース選定にも使えそうだ!
どうもこの一帯は織田家の武将羽柴秀吉が行った播州征伐の三木合戦の戦場にもなったらしくって「もし」この戦いがなかったらこの地は奈良、京都並みに栄えたのではなかったかと冗談交じりに講師が話されていた。